目のつけどころ
拙Blogは下記へ移転いたしました。
過去の記事などもすべて新Blogに移しました。
過去記事へコメントをくださる場合も、下記の
新Blogの方へ投稿いただけますと助かります。
https://panasy99.livedoor.blog/
本日もこたつを守り切った「ちち(仮名)」さん。朝から曇り空でしたので、こたつ布団を剥いで必要なものは洗濯して、というお母さんの意欲がそがれてしまったことが幸いしました。暦の上ではすでに秋ですから、これが冬になる前にこたつを片付けて、また恋しくなった頃に気持ちよく使えるようにしておく必要があります。しかし、お布団が無くなったら、立つのにも寝るのにも苦労するであろう彼女のことが気になりますが、母は強し、でありまして、そういうことは見ない、感じないふりをしてあえて非情に振る舞うのでしょう。
本日は中学受験を考えているという小学1年生が来館して、夏休みの宿題なんかやってる場合じゃないからと、学習塾のものでしょうか、実に分厚い問題集に取り組んでおりました。1年生ですけれど、問題集は3年生程度の内容。当然、わからないところ教えて、と来るのですけれど、これがまたとんでもなく難解で参りました。
その小学生が使っている鉛筆がこれまた酷い状態ですので、きっと意識の高い保護者が手で削らせているのかと思って尋ねてみると、筆箱に内蔵された鉛筆削りを使うのだといいます。一体どうやったら、鉛筆削りでこんなにボコボコに削ることができるのだろうと不審に思って、一緒に鉛筆を削ってみると、その子は鉛筆削り器の使い方を全く知らないのでした。小学校受験に失敗して6年後のリベンジを,ということなのですけれど、「勉強」って教科書の中味を頭に詰め込むことだけじゃ無いんだけどなぁ、と歯がゆく思ったことでした。
ずっとずっと昔の、出来の悪いシャープペンシルの記憶しか無いのか、小学校の先生は一様にシャープペンシルの使用を禁じています。それが中学校に入った途端、みんな鉛筆を捨ててしまうようになり、やがてめちゃくちゃ高価な作家先生作の木軸シャープペンシルを欲しがるように。ま、小学生、それも低学年の子どもには柔らかい芯の鉛筆を使わせるのが良いと思いますが、筆圧が高い子には萬年筆も良いと思います。一人の教員が40人近い子どもに一斉指導するのですから、ここの特性に合わせて、なんてことは夢物語。文房具に関する知識がゼロに等しい人が多いというのが教員の特徴ですけれど、そこを責めるのは止めておこうと思います。
早川式繰り出し鉛筆。目のつけどころがシャープでありながら、気がつけば台湾の企業に飲み込まれてしまった電器屋さん、戦災から立ち直るときに繰り出し式鉛筆をこしらえていたのです。だからシャープペンシル。メカニカルペンシルなんて言うと、変な人だと思われます。
我が家に2本ある、と思っていたら、1本はボールペンでした。1983年に復刻されて、1993年もまた復刻。その、93年のものは芯を出すのに右へ4分の1回転させる、という動作を繰り返すのだそうですが、我が家にあるのは古い方らしく、ただ単に右へ回すだけ。回せば回しただけ、いくらでも芯が出てきます。93年のものを触ってみたいと思うのですが、未だに出会えておりません。まぁそんなことより、真っ黒になった軸を見ているだけで楽しいのですが。
コメント
この記事へのコメントは終了しました。
っていうか、携帯の鉛筆削りでも鉛筆を回すなり、鉛筆削りを回すなりいかようにしてもある程度まともな状態に削れる筈なんですが・・・。いまどき刃物(安全カミソリのようなもの)でツンツンに削る技を披露しているような方はいないでしょうが、ご両親そのものが鉛筆を削ったことなど覚えていないのでは。
しかし小学一年生から受験用知識の詰め込みとは。なんともいえませんなぁ。
投稿: くーべ | 2023年8月10日 (木) 11時51分
くーべ さん
こういうことを言うと、仮にもその業界にいた人間としてどうなの、とシバかれそうですが、いたいけな鳥に無理矢理餌を食べさせてフォアグラを作るがごときお受験勉強、それやらないと受からない子なら、そういう学校に入ってもさほど意味が無いような気がしています。これまで、全国的に有名な進学校へと進んだ子どもを何人も見てきましたけれど、そういう子どもたちって、やらなくてもある程度できる。そして、効率的というか効果的というか、そういう勉強の仕方を身につけています。一時話題になった東大生のノート、みたいな話ですね。なので申し訳ないのですけれど、今目の前にいるこの子の6年後って、そう期待できないように思います。あくまで勘でしかありませんけれど。
投稿: つきみそう | 2023年8月10日 (木) 15時29分
どこかの高校野球の監督が、いまのクラブ活動についての問題を提言していましたが、学校のクラブ活動は「人としての成長を手助けするものであって、生活のすべてをかけてプロのスポーツ選手を目指したり、ただ単に勝つことを追いかけるものではない」と。
「プロ野球選手やプロサッカー選手になることを夢」としてスポーツに打ち込むことは悪くはありません。でもプロで飯を食っていけるほどの選手になるには並外れた努力とその努力を苦にしない才覚と何らかの運がなければ叶わないでしょう。宝くじに当たるよりはマシな確率でしょうが、似たようなものかもしれません。
受験勉強も同じように思えます。人として生きるために役立つ基本知識は必要です。しかしテストでいい点を取るためだけに時間を食いつぶしているだけの受験勉強がはたして役に立つのだろうか。
いまの受験勉強の行き着く先は、いい企業に就職するための大学のようになっていないか?
学校は受験予備校ではないと思うのですがねぇ(^_^;)
投稿: くーべ | 2023年8月12日 (土) 08時48分
くーべ さん
受験予備校でもないし、プロスポーツ選手、プロの演奏家、歌手などを育成する機関でもありません。授業にしろ、部活動にしろ、それらを期待されていたのでは無いはずですが、特に高等学校などは、大学進学実績、就職実績を謳わないと生徒が集まりませんね。
義務教育以降となる高校ならともかく、小中学校でお受験対策のみのみ、部活動でプロの卵を育成、なんて馬鹿げてますが、公立の学校でそれやって貰えたら「ただ」なんで、親御さん達は目の色変えてきます。私が勤めていた学校に、学校外でバレーボールの英才教育を受けていた生徒がいて、当然、バレーボール部にも入部している。それが、他の生徒もいるので、当然、基礎的な練習からやるわけですけれど、そういうレベルの低いこと止めて貰えませんか、うちの子には簡単すぎる、って校長室へ怒鳴り込んできて、顧問の教員をつるし上げたことがありました。結果、頼みに頼み込まれてバレーボール部を担当していたその教員は、いたたまれなくなって退職。翌年のバレーボール部顧問は、その対象の生徒が3年生、ということもあって、学年主任兼進路指導主事を務める私が担当しました。利害関係、って言葉を地で行くような話ですよねぇ。
投稿: つきみそう | 2023年8月12日 (土) 09時20分