再会
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こたつの下に入り込んでくつろぐ「ちち(仮名)」さん。このところ天候不順で、昼間、アホみたいに暑いかと思うと夕方になって一瞬だけ雨が降り、余計に蒸し暑さを増しただけで降り止む、という毎日ですので、こたつの下のラグを取り除いてお掃除をすることができていません。それはそのまま、彼女にとっては嬉しいことなのでしょう。
子どもの頃、夏休みに母の実家に滞在していると、午後3時を過ぎたあたりで祖母が大きな鍋にお湯を沸かし始めたものです。お湯が沸くまでの間に隣にある畑へ行き、これはいけそうという「ナンバ」を数本もぎって、その場で皮を剥き落としてから持ち帰って、ちょうど沸騰しているお湯に放り込むのです。茹で上がったところで私たち、子どもが呼ばれて、縁側に座って両手で「ナンバ」を持って、ビーバーみたいにガリガリガリと粒を削り取って食べるのですが、そうこうするうちに空が暗くなって激しい夕立。2~3回に1回は落雷で停電となるので、薄暗い縁側で涼しい風に吹かれながら、電気がパッと点くのを待つ。私にとって、それが夏の風景なのですが、そういうことは昨今、まず起こりません。
先日、京都でシロウさんに調整の基本となるところを教わった際に、調整するとこういうものもできるのですよ、ということで販売用に持って来られていた萬年筆の中の1本。ペリカンのクラシックシリーズで、ラメ入りの半透明な軸、鉄ペン先と、普通なら全く食指が動かないものなのですが、なぜか今、手元にあります。
いつかの泉筆五宝展、もしくはペントレ、あるいは年末大バーゲン、いずれかの機会だったと思うのですが、ケロ御大がペリカンのM300で異様に素早く般若心経256文字の写経を完了されたことがありました。まわりの人が色は空であり空は色であると書いている頃に般若心経、と書いて終わってしまう、というぐらいの速さです。あの柔らかなペン先で、何ということをされるのか。御大と奉られるだけのことはあります。
そのときに、近くにブースを構えられていたシロウさんに、写経に向いたペンってどういうものなんでしょう、と軽い気持ちで相談したのですが、そこで今ここにあるペンの中では・・・と書かせてくださったのが、まさにこのペンだったのです。
もともとはBニブですが、それを長刀研ぎのように研磨されているのです。長刀研ぎのあのシャリシャリした感じが嫌だ、という所もあるのですけれど、それは私が親方と出会うまでの話。親方に長刀のペン先を調整してもらうと・・・・・なのです。
このペンは、長刀研ぎの本来の目的とはこういうことであろう、というポイントに沿って仕上げられていますので、シャリ感があります。それを引っかかるような感じと捉えるのか、いい塩梅にペン先の動きが規制されて書きやすいと捉えるのか。何より、そこから出てくる筆記線を見ることで、このペンの真価がわかります。
願わくば、このペン先を存分に活かした綺麗な文字を書けるようになりたいものです。でも、より綺麗な日本文字が書けるように研ぎ出されたペンを使うと、普通のペンよりも綺麗に書くことが難しい、ということになってしまうのが、字の下手くそな人間の哀しいところです。きちんとした形の文字を書けるように、60の手習いでもするか・・・とも一瞬思いましたが、続く可能性は限りなく低く、やがてペンを持つことすら難しくなってしまうのだろうな、といつものようにやる前から諦めてしまう私なのでした。
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