飼い主の帰宅は遅めだったのですけれど、「ちち(仮名)」さんは起きて待っていてくれました。こんな風に目を開けている彼女の写真を正面から撮ることができるなんて、なかなかあることではありません。昨日は帰宅して車を車庫に収めてからバスに乗り、駅前の飲食店へ行って少しビールなど呑んで「ぷはぁ~」とやってすぐ帰宅。そのとき、まだ完全に日が暮れていないという幸せ。
学校に勤めていたときは、日があるうちは生徒がいて、日が暮れて暗くなる直前に何とか家に着ける、それぐらいの時刻が「最終下校時刻」となっていたわけです。その時刻になると教員総出で校門に立って「早ぅ帰りやぁ!」と声をからして叫ぶのですが、生徒の方は校門を出て最初の角を曲がったあたりでたむろして日が暮れてもお構いなしにしゃべり続けている、と。その際、石を投げたり集積されている不燃ゴミの山を崩して遊んだり、はたまた近隣に響き渡る大きな声を上げて走り回ったり、ということで、お住まいの皆さんから学校に苦情が来ます。無視することもできないのでそれを駆逐すべく出動して・・・ってことが一段落するのが夜の8時前ぐらい。そこから事務仕事に取りかかって、テレビ番組もスポーツニュースばっかりになる頃から明日の授業の用意に取りかかる。そこで、公共交通機関で通勤している家庭科の先生が真っ青な顔をして「明日の調理実習に使う人参を注文し忘れた!」なんて叫ぶものですから、クルマ通勤の先生が遅くまで開いているスーパーへ連れて行き、そのついでにおうちまで送り届けて、そこからまた学校に戻って・・・。警備保障会社のシステムから「そろそろ防犯セットしてお帰りください。」というメッセージが職員室に響き渡るのが日付も変わった午前1時。手なれた様子で「延長」ボタンを押す教員。カラオケ屋で鍛えた技であろうと推察されますが、延長可能なのは午前4時が限度なので、そこで諦めて帰宅し、風呂に入って着替えてから再度出勤するのが朝の7時頃です。
本日も、偶数月の1日に発行されるこの小冊子をいただきに文房具屋さんへ。教員だった頃は、今日は1日だなぁ、と思いつつ手も足も出ず、休みの日になるまでお預けだったのですが、最近では発行日に速攻で手に入れております。勤務時間が朝の8時半から夕方の5時15分までで、お昼の休憩時間は1時間きっちり、ということがこんなにありがたいものか、と還暦を過ぎてしみじみ。この話をしますと、周りの人たちは例外なく「アホか!」という顔になります。いや、ホンマにアホでした。教員生活最後の2年ほどは、そのアホさ加減にようやく気づいたので、遅くまで居残ろうとする先生達に早く帰れと声をかけ、「帰れるモンなら帰りたいわっ!」と逆ギレされては「何が手強い?」と聞き取って、次々と仕事の量を減らすようにしておりました。この場合に、コロナ禍は大きな追い風、味方になってくれました。
今、コロナ禍から「以前の」生活に戻そうという動きがものすごく強くなってきていて、せっかく減らした仕事をまたもとの分量に戻すなんていう学校も少なくないようです。私はもう業界から抜けたかこの人ですから、「まぁまぁ、何とお気の毒なことで・・・」と気楽に見ておりますけれども、もし自分の身内や親しい人などがこの業界に身を投じるなどと言ったら、全力で引き留めるでしょう。日本の公教育、もうダメです。
で、今号のBun2ですけれど、何と、何と、記事にも広告にも、どこにも萬年筆がありませんでした。哀しいことです。文房具自体大好きですからまぁ良いのですけれど、せめて広告の1本ぐらいあっても良かったのでは、と残念な気持ちです。それでも、こいつを職員室に置いておくと、手に取った先生達の多くは「へぇ~っ」となっていたことを思い出します。いつも言っていることですけれど、学校の先生は、文房具やその周辺に興味の薄い人たちが大半なのです。あえて言いましょう、カスであると。
文房具に限りませんけれど、とにかくいろんなことに興味や好奇心を持っている人でなければ、先生なんてやってちゃダメだと思うのです。目の前の業務をこなすことに精一杯、余裕もなく、そう、道ばたに咲く花の可憐な姿に目をとめ、心を動かされることもない。そんなつまらん大人に何かを教わる子どもは気の毒です。子どもは、「変な大人」を見つけるのが得意で、そして、好きになる傾向が強いのです。せめて先生だけでも「変名大人」の要素を持っていなければ、子どもたちだって息が詰まると思うのですが、大半の先生達はそうは思っていないようです。
凄くお値段の高い鉛筆を、自作の革製のシースに入れて持ち歩いているという人の記事が載っておりました。こういう変な大人、いいですね。
鉛筆削りの名人なんだそうです。かの有名な「Uni」の会社には、鉛筆削り入社式、なんてものがあるそうですが、そこで講師を務めているぐらいの鉛筆削り名人なのだそうです。
そういえば、萬年筆趣味の世界にもそういう人、何人かいますね。今思い出しましたけれど、「サラリーマン金太郎」っていう漫画で、漁師をやっていた主人公がサラリーマンになって、最初に与えられた仕事がひたすら鉛筆を削ること、でした。そして社内で、彼の削った鉛筆を使った人たちから、なんとも言えないのだけれど、とにかく心地いいんだ、という使用感が数多く寄せられる。というお話だったかと。
私、鉛筆削れません。まぁ書くように削るのだったらできないことはないけれど、見られたものじゃないのです。教員だった時は、とにかく、何もかもできないことだらけで、本当に情けない先生だったのですけれど、「変な大人」だったことだけは自信があります。まぁ、今の私を見ても。そんなこと、とても想像できません、って皆さん言うのでしょうけれども。
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