ありふれた日常
ご飯はまだかなぁ、とウロウロする「ちち(仮名)」さん。老齢ですが食欲は衰えず、今もまだ、肥満防止のためにと低カロリーなドッグフードを食べているほどです。横から見るとよくわかりますが、後ろ脚の筋力が衰えていて、歩くことはできますけれども簡単に尻餅をつきます。このようなフローリングの床で尻餅をつくとうまく起ち上がることができず、その場でキュンキュンと鳴くことしかできません。
飼い主も、脚力の衰えを強く感じます。若い頃はどこへ行っても、「俺の前を歩かせはしないぜ」なんて感じで、一緒に出かけた妻や友人などは「もっとゆっくり歩いてくれないとはぐれてしまう。」と苦情を言ってくることが多かったものです。ところが最近は、決して歩くのが速いとは思えないお兄ちゃんやお姉ちゃんにも抜き去られてしまう始末。非常に情けなく感じます。
たくさん萬年筆があるというのに、いまだにオークションサイトなどを覗いてしまいます。そうした場所では、各社の周年記念萬年筆などはとても手が届かないようなお値段でやりとりされていて、皆さん、普段の生活は大丈夫ですか、などと要らぬ心配をしてしまいます。けっして良いお給料を貰っていたわけではない私ですけれども、萬年筆など蒐集しないでしっかりと貯蓄したり投資したりしておれば、今頃悠々自適な毎日を過ごしていられたはずで、そういう意味では、良くない趣味に身を投じてしまったなぁ、と反省しきりなわけです。
けれども、この趣味を持っていたことで知り合うことができた人たち、そしてそこから広がるこころの豊かさ。そういったものは、教員なんていう狭い世界で仕事だけに打ち込んでいては決して得られなかったものですので、形のない、それでいて大切な財産だということもできます。
写真は、いつ頃、どのようにして手に入れたのか、もう忘れてしまったセイラーの75周年記念萬年筆。カーボンを素材としているのが特徴ですが、それ以外は特にこれといったところのない、普通の萬年筆です。ペン先にしても14K、ホンマに記念萬年筆かいな、という感じです。
大丈夫、きちんと12時です。この碇のマーク、上下を貫く線が時計の12時と6時を結ぶ線のように垂直でなければならない、ということになっております。その基準は、もちろんクリップ。工場で組み立てるときに、天冠を締め付けすぎても締め付けが足らなくても12時にはならないわけですから、ここは重要なところ、なのだそうです。
たしか、どこかに箱もあったはず。そういうことも含めて、その辺に放り出しておかないで、綺麗に洗浄して箱に入れて、必要としている人にお嫁に出す、ということも考えていかないといけませんね。持っている萬年筆すべて、棺桶に入れて貰うなんて、とうてい無理ですから。
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