猿から空へ
眠りこけている「ちち(仮名)」さん。本日はいつもより多めにお散歩をした、というか、うんちをするまで帰らないぞ、という構えであちこち引っ張り回されたので、相当にお疲れの様子です。お散歩に連れて行く側は春爛漫で桜も満開ということで、あちこち目を楽しませながら圧いていくわけですけれど、連れ回されるワンコの方は桜なんてどうでもいいから早くおうちに帰ろうよ、というわけです。けれど、普段ならおうちに帰り着いているぐらいの時間まで歩き続けて遠くまで行っていますから、さぁ帰ろうとなってもかなりの道のり。ご老体にはさぞキツかったことでしょう。
ペンケースに並んで入っていたので、一緒に並べて写真を撮りました。ご覧の通り、PILOTのカスタムレガンス、萬年筆とボールペンですと書いたら、どれほどの人が「そうか」とそのまま読み流してくれるのでしょうか。
洋画や海外ドラマが好きでよく見るのですが、出てくる俳優さんの見分けがつかない問題というのがあって、特に女優さんなど、髪型を変えて出てきていたりすると同じ人物なのかどうか判然としません。ストーリーを追うことで、かろうじて同じ人、違う人というのを判断するという、実に情けない状況です。
他人のそら似、という言葉があります。「そら」の部分には、「空」という漢字が入りますけれど、そうなったのは江戸時代ぐらいからだそうで、もともとは「他人の猿似」と表記されていたのだそうです。人がお猿さんを見る場合、みんな同じような顔に見えて見分けがつきにくい、ということから、あかの他人なのだけれど非常によく似ていることを「他人の猿似」というようになった、と辞書では解説されています。
そう、この2本、全く別のところで産み出されたもので、同じシリーズなどではありません。軸の模様ですとか、球クリップとか、そういうところに目が行くと、あぁ、これ同じシリーズなんだと思ってしまいますが、じゃあ何でボールペンの方は天冠が金色なの、という疑問を持つ事が大切であり、ヘンタイさんへの近道でもあります。
萬年筆の方、キャップリングにはしっかりとカスタムレガンスである旨の刻印があります。この2本はよく似た見た目ですけれど、メーカーも違い、何の関係もありません。そう、「あかの他人」なのです。
では、あかの他人というときの「あか」って、漢字で書くとどうなるのでしょう。今は春休みですけれど、春休み前、授業の方は教科書も最後まで終わっていて、特にやるべきこともない、なんてときに、よくこういうクイズめいたものを生徒に投げかけて遊んでおりました。
答は簡単なもので、「赤」なのです。「赤の他人」と書くわけです。で、この「赤」ってのは、「あきらか」「明白」という意味。誰がどう見ても別のもの(人)だ、ということなのです。そもそも、「赤」にはそういう意味もあるようです。
ボールペンの方はセルロイド製で、この続きにはHANDCRAFTと刻印されています。恐らくはカトウセイサクショカンパニーのものかと思います。面白いので、また同じように並べてペンケースにしまっておきました。
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