カーヴ式会社

楽なのかどうか、人間様にはわからない姿勢で熟睡している「ちち(仮名)」さん。年の瀬に東京へ行くのに、イチビッて飛行機でも新幹線でもフェリーでもない交通手段で行こうと考えていた時に、まっすぐ寝るよりも少し丸くなって寝る方がじゅくすいできるらしい、という事を見聞きしたので、それができそうな移動手段を利用することにしました。
子供たちが小さかった頃は、ワゴン車に布団を敷いて夜通し東名高速をひた走り、夜明けのレインボーブリッヂの美しさに感動しつつ、駐車場で爆睡、なんて事を毎年やってましたが、一人で車飛ばして行くのもコスパ悪いので、同じくらいコスパの悪い方法を選んでみました。今から楽しみです。
亡き母は京都市内で学生時代を過ごしていたので、その当時の友人と会う機会があると、まだ幼かった私たちを連れて京都へ、ということがよくありました。今は大きなバスターミナルになっていますが、京都駅の北側からたくさんの路面電車が発着していた、そんな時代でした。
大阪から京都へ向かうのに、国鉄を選ぶなんてことは、運賃が安いという理由だけ。まだ新快速なんてない時代で、国鉄なんてボロい電車でサーヴィス回るか、時間もかから。なので阪急か京阪を使うのが常道でした。
その当時、梅田から河原町まで、阪急の特急で38分。一方、淀屋橋から三条まで、京阪の特急で45分でした。車両の性能も上がり、線路も改良されましたが、どちらの会社も、今ではもっと時間がかかるようになっています。すべては新快速のせいですね。
京阪電車は京都市内で鴨川沿いの地上、というより路上に近いところを走っていて、それを地下化してから30年、というのを記念した萬年筆です。地下化した際に、出町柳まで延伸もされました。今、三条京阪のバスターミナルになっているところ、あそこから電車が発着していたのです。
京阪本線は線形がとにかく悪くて、スピードが出せず、大阪京都間の所要時間では阪急に勝てないので、テレビが見られる車両を連結したりして競争力を高める努力をしていました。その京阪特急はこの萬年筆みたいな塗り分けで、ハトのマークがその象徴。今も、それは引き継がれています。この記念萬年筆、シュミット製の鉄ペン付き、コンヴァータ付きですが、樹脂製の軽い軸で、好みには合いません。一度も書いてみたことがないまま、いずれ、お嫁に行くことになるのでしょう。我が家にはこんなペンばっかりです。
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