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2022年5月13日 (金)

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 何か忘れてませんか、と言いたげな表情でこちらを見る「ちち(仮名)」さん。全日本三日坊主協会というものがあるなら、代表なり最高顧問なり、そういうポジションに即就任可能な飼い主ですが、このところ毎日、熱心に汚部屋の片付けを続けています。家に帰ってきたかと思うとすぐに二階へ上がってしまうので、彼女にとってみれば、どうにも寂しいのでしょう。

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 しかし、飼い主にとっては大変意義のあることで、長いこと積み上げてあった「何か」を確認してみたらその大部分が不要物であったとか、家具の背後に積もったホコリを取り除いていたら萬年筆が出てきたとか、毎日が新鮮な感動の連続です。今のところ、もう読むつもりのない書籍やら、PC関連の様々なガラクタ類を箱に詰めては不用品を処分してくれる業者に送る、という日々が続いています。こういう作業が一段落すれば、それによって空いた空間に、いろんなものを「きちんと」保管する、という計画です。要するに、アレどこにあるかな、と思ったときに探せばすぐに出てくるという状態にしたいわけです。

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 また何か出てきた、萬年筆やっ! といさんでキャップをとると、ペン先がありません。しばし呆然としてから、あっ、これはセイフティーっぽいヤツやんか、と気づいて尻軸を回し、めでたくペン先とご対面。この時点で、これがどこの何という萬年筆であるのか、全くわかりません。クリップに刻まれた文字を見て、おぉ、ヴィスコンティ・・・そら変なペンなのも当たり前や・・・と納得。けれど、モデル名は老眼では確認ができないような彫り方なので、ルーペでのぞいてようやく、メトロポリスかぁ、そういえばこんなのもあったなぁ、という具合でした。

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 で、次は、こいつが書けるのかどうか、ということです。インクを入れようと軸をじっくりと観察しても、どこにも分割線が見つかりません。一体これ、どこを開けてインク入れるんだったかなぁ、と思い出そうとしても思い出せないので、ネットで検索。ちょっとユニークな萬年筆が発表された、なんていう横文字の記事はいろいろ引っかかりますし、メーカーによるものと思われる紹介ムービーなんかもあるのですが、インクの入れ方を紹介しているページがなかなか見つかりません。

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 拙い英語力で必死に読んでいく内、Push Pullという単語を見つけて、あぁそういえば、と記憶が蘇ってきました。お尻の部分を押すと、そこが飛び出してくるので、それをぐるぐる回すことによって内蔵のコンヴァータでインクの吸入ができるのです。

 写真は、ピントが天冠に来てしまっていますが。お尻が飛び出していない状態のものです。

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 お尻の部分が飛び出すと、側面にはVの文字。実のところ助平な私は、ここで乳首と乳頭とは違うもの(部分)である、なんて話を思い出してしまいました。反省が必要です。

 それにしてもこの萬年筆、けっこういいお値段で売られていたようですが、いったいどうやって手に入れたのでしょうか。謎は残ります。

 

 

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コメント

プレジデントの最新号によると「捨てる」というような概念が普及し始めたのは21世紀になってからだそうです。確かに捨てないで利用するとか溜め込むことのほうが昔は普通だったのかもしれません。
ただし片付けをはじめるともう持っていても使うことがないものだとか持っていることに意味がなくなってしまったものがいっぱい出てきて、生活必需品にプラスアルファがあればこれからの生活には不足はないのだなぁと実感させられます。発掘したのをこれさいわいと使い尽くしてあげることも必要ですし、もう使わないと決断することも大事なタイミングにきているのでしょう。

 くーべ さん

 くーべさんがまだ北の国で暮らされていた頃に私が勤めていた職場では、それこそ月に一度、大掃除をして、そのたびにワイドロングボディの2トントラックに差し板つけて山のようにゴミを積み込んではゴミ処理工場へ持ち込む、ということをしておりました。そのうちに処理場の職員さんとも顔見知りになってしまって、少々の無理を聞いてもらえるようになったりしたのも懐かしいですが、それだけ捨てても学校のゴミ(不要物)は減らない、というのを実体験しております。

 今回、自分の家で同じことを追体験している状態です。もうこれで最後、と思っても、次の日には適当な段ボール箱を探しては不要物を詰めている、という日々が続いています。普通にはゴミであっても、欲しがる人がいる可能性あり、というようなものを箱に詰めては、それらを買い取りもしくは処分してくれる業者に送っているわけです。

 で、この萬年筆に関しては、手に入れた当時は結構なお値段のするものだったのに、たいして話題にもならず、今となってはその存在を知る人も殆どいないようなものです。何より持ち主が使い方を忘れてるわけですから。筆記具を握る手は1本、というひとが圧倒的に多い中、数百本もの筆記具を抱え込んでいるというのは、やはり異常なことですし、そうやって蒐集したものも、私がいなくなってしまえばただの厄介なガラクタです。元気で生きている内に、しっかり使うか、使ってくれる人に譲るか。部屋の片付けが一段落したら、こんどはそういう決断の日々がやってくることでしょう。

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