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2022年1月23日 (日)

週末に終末を考える

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 洗濯物を干すお母さんの足下でゆったりと眠る「ちち(仮名)」さん。干す方は踏んでしまわないか気になって仕方ないのですが、踏まれる可能性のある方は全く意に介していません。自分の頭の周りになんども足が降りてくるのも平気です。お掃除や洗濯というのは、彼女にとっては何らかのイヴェントで、お母さんが何かやってるから近くにいたい、という感じなのでしょう。

 こういう記事を見たのですが、記事を書いた人の意図がどうであれ、認めたくありません。鬼籍に入られた方について、その「偉業」を称えるべくべく書かれた記事ですから、批判すると「悪い人」になってしまいますけれど、そういう「悪い人」が日本中に増えていって欲しいとすら思っております。個人でそういう風にされるのはどうぞご自由に、ですが、それが賞賛されるのは、実によろしくないことです。

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 私の父も、仕事や職場、そして部活動に我が身を捧げていた人でした。盆と正月、という言い方がありますけれど、盆と正月ですら休むこともなく職場に行っておりました。夏休み(お盆)に帰省するのは母と私たち子どもだけ。ですので、その母が亡くなったときも、親戚一同集まる中で、あの人は何という名前でどういう関係の親戚か、なんてこともほとんどわからない、父はそんな状態でした。

 恐らくはその父の持ち物であったと思われるペンケース。中にはどんなペンを入れていたのでしょうか。これと同じものを手に入れて、その後に自宅にもこれがある、と気づいたもので、発見したときには中身は空でした。おおよそ、安物のペンが入っていたことでしょう。昭和30年代から40年代にかけての教員なんて、もらえる給料を考えると最底辺の仕事でしたから。でも、そんな待遇でも、1日24時間のほとんどを仕事のために使っていたのです。実に哀しい話です。

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 PILOTカスタムの楓シリーズを入れてみました。萬年筆、ボールペン、メカニカルペンシル。3本入るスロットがあって、3本揃っているペンがあったから入れてみただけです。おそらく当時の父の給料では、こういうセットを持つことは贅沢であったことでしょう。

 その頃のことを考えると、今、教員っていうものは給与面ではかなり「マシ」になっていると思います。多くの教員が、1日に7時間45分という勤務時間という前提で給料を貰いながら、実際には10時間近く働いており、労働基準法に定められた休憩時間すら取ることができていない状況というのは、まだまだ知られていないところです。世の中、ワーキングプアーといわれる状態の人もたくさん出てきていますから、きちんと給料もらえるだけでも感謝しろ、っていう言われ方もするのですけれど、本当にそうなんでしょうか。

 コロナ禍の中、医療関係者がひどい状況に置かれていることが「ようやく」知られつつありますが、ただ働きをしてくれる人がいなければ世の中が回っていかない、そんな国に未来はあるんでしょうか。

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 きちんと働いた分の対価を払え、って言うのは簡単なんですが、そのことが難しいのがこの国の現状。昔からそうだったし、この先もそれは変わらないのでしょう。そして、そう遠くない将来、この国では、ほとんどの人がKAKUNOですら高級だ、っていうような状況になってしまうのではないかと危惧します。国産三大メーカーの一角をなすところは、最近、信じられないような上等なペンを次々と発表しておりますけれど、本当に大丈夫でしょうか。

 最近、中古ながら舶来の萬年筆を手に入れたのですが、珍しいことにそれは、箱も説明書も、カートリッヂインクさえも揃ったものでした。実は私、そのメーカーの萬年筆を新品で買ったことがありませんので、すべてが新鮮な体験でした。へぇ、新品で買うとこんな感じなんやな、と。そして、思ったのです。これを新品で買える人はどんどん減っていくのだろうなぁ、と。私自身、もうすぐ退職ですから、これからは中古ですら、萬年筆なんて買うことはできなくなるのではないかと思っております。終活と称して蒐集した萬年筆を少しずつ処分しつつ、自分自身は何とか終われそうですけれど、若い人たちに明るい未来はあるのかどうか。そのことを考えると、本当に哀しくなりますね。

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コメント

いつの時代にだって、明るい未来はあったんでしょうか?
少しは賢しくなって未来が予想できるような気がしていますが、ほんとの未来なんて予測できない。
こんな時代は駄目だ、新しい時代を作ろうと盛り上がることはできますが、それが前よりも酷い時代だったこともあります。
当方は、人には生きている今しかない、そんな気がしているのですが。

 くーべ さん

 深いですね。

 確かに、振り返ってみれば、悲観したことがその通りになった、ってことの方が少ないような気もしますね。結局は「何とかなった」です。
 で、その、何とかなった、の積み重ねでここまで来た人間が、何ともならんわ、と悲観するのもまた、皮肉で面白いですね。

 最近、ズルいなぁ、と自分に対して思うことが多々あります。あれこれと職場に寄せられる「声」が、どれもこれも、悲惨な将来を示すようにしか思えないのに、自分はもうすぐそこから抜け出そうとしている、というところ。70近くなって、いまもまだ学級担任をしながら日々ブルドーザーのように進んでいる先輩もいるんですが、スゴいなぁ、としか思えませんねぇ。春が来れば、今の業界とは違うところでお仕事しながら糊口をしのいでいくことになろうかと思いますが、長生きしてしまうと面倒くさいよなぁ、ぐらいしか思えなくなっているのも難儀なところです。

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