花丸
柵に食い込んで横たわる「ちち(仮名)」さん。こういうのを見ると思い出すのは、小学生の頃に飼っていた「ペス(実名)」というワンコ。雑種ながら実に賢い犬で、当時のことですから当然外飼いで、炊事場(当時はキッチンなんて言葉はなかった)の外につながれていました。日曜日の朝はパン食、と決まっていた我が家ですが、それ以外の日でも、ご飯を炊くタイミング(当時は炊飯ジャーなんてものがなかった)によっては平日でもパン食になることがありました。母の「今日はパンやでぇ」という声を聞くと、炊事場の外壁に飛びついて吠えていた「ペス(実名)」さん。
ある日、彼を散歩させていると、向こうから大きな土佐犬、それもノーリードの奴が向かってきて、我が愛犬の背中にガブッとかみついたのです。もう、アカン、死んだ、と思ったのですが、彼は平気。被毛が分厚いのが幸いしたのか、土佐犬の牙は肉まで届かなかったのです。そのとき、土佐犬をつれていたオッサンの、「小学生の連れている雑種のワンコなんて、犬じゃない。」とでも言ってるかのような顔。ちょうど今、「ウチの子は特別なのに、ほかの子と同じように扱うなんて。教師ってホントにバカだな。」と迫ってくる保護者に同じものを感じます。
私が小学生だった頃、先生を馬鹿にするような風潮はそれほどでもなかったように思います。以来40年ほどをかけて、マスコミの皆さんの血のにじむような努力により、先生を馬鹿にすることはカッコいいこと、意識高い系の優秀な親ならではのこと、というコンセンサスが形成されてきたわけです。もちろん、それだけではなくて、私のような出来損ないの教員がこの業界の評判を下げてしまったということもあります。
で、そういう話題と、写真のペン、いったいどんな関係があるのか、というお話。実はこのペン。手元に来る前はかの有名な二右衛門半師が所蔵されていたものなのです。でありますからして、普通のペンではないのは当然のことなのです。
で、この写真を見たら、本日の記事のタイトルと結びつきますね。小学校の先生が10人いたら、10パターンの花丸があります。逆に言うと、花丸を見れば誰が採点したのかがわかる、というぐらいのものです。
花丸に限らず、学校の先生が採点したものを見ると、ややピンクがかった赤インクでマルバツが書かれています。かつては国産萬年筆の三社ともに写真のようなソフトペンを製造販売していたようですが、今は、ほぼプラチナによる独占市場となっております。例のステンレスボールの仕込まれたインクカートリッヂが附属するのですが、萬年筆用の赤インクカートリッヂとは違うものです。これも好みがあって、ソフトペン用のカートリッヂを使わず、萬年筆用のものを使う人も少なくありません。特に中学校の先生は、より赤に近い色のマルバツを好むので、そうした傾向が強かったように思います。
外見からでは萬年筆にしか見えないソフトペン。この箱に収まっているのは、さらに萬年筆っぽい見た目の一本です。そちらはまた別の機会にご紹介いたしましょう。周囲の空気なんてものを読まず、変な萬年筆、実用に耐えないほどおかしな萬年筆「も」しっかり集めていれば、いつの日か奈良の方からオッサンが来て、「はい、半認定!」と声をかけられるという栄誉不名誉に浴することができることでしょう。
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