希少本
眠っている「父(仮名)」さん。こんな風にしっかりと目をつぶっている彼女を撮るのは結構難しいのです。何か感じるらしく、カメラを向けたとたんに薄目を開けてしまうからなのですが、このときは熟睡していたようで、撮影時のシャッター音にも反応しませんでした。
年明けのこの時期は、いつもの月初めよりも忙しく感じられます。その月の様々な報告などは翌月の5日までに提出、というパターンが多いのですが、12月分の報告はそういうわけにもいかず、1月10日過ぎまでに提出、となります。結果として、新年早々大車輪で片付けなければならない書類仕事がたくさん出てくるのです。本来なら年末に済ませておきたいところなのですが、その基礎となる書類を出してくれない先生が少なからずいるので、そういう風には進まないのです。教員の働き方改革は、まず、意識を改めるところから。そうでなければ、全員死ぬでしょう。
で、忙しい中、適当に仕事をきれい上げて帰宅すると、こちらの希少本が届いておりました。40台に入ったこのお三方が、文化としての萬年筆を守らなければならない、という志を立てて活動に入られたあたりのことを知ることができる、格好の史料です。
自分は40台に入った頃何をしていたのか、と考えると、あぁ、情けないことに、実にだらだらとした暮らしぶりであったことばかりが思い出されます。市内有数の荒れた学校に赴任して、教員として今のところ最後の学級担任を持っていた、それが40歳かそこらのことでした。周りの人たちは荒れた学校で大変だねぇ、と言ってくれたのですけれど、実は、荒れた学校に勤めるのはある意味楽なことでもあるのです。
落ち着いた学校に勤めていると、そう、しっかりと授業をする必要があります。それ自体は荒れた学校においても同じことなのですが、荒れている学校では授業の内容や質よりもまず、教室に生徒を入れる、教室から逃がさない、ということが大切になってきます。さらには、まじめに学習しようとしている生徒を守るために、学校内の安寧秩序を守る、ということも大切です。で、それらは肉体的、精神的にきついことではあるのですけれど、質の高い授業を毎時間続ける、ということよりは楽な側面もあるのです。
この本で、お三方の活躍を読ませていただいて、あぁ、自分の40台なんて実にくだらない、惰性ばっかりの毎日だったのだなぁ、ということが改めて思い出されたことでした。
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