場の理論
落ち着かないので自宅に戻ったものの、扉を閉められては困るからと半身を乗り出している「ちち(仮名)」さん。一体何がしたいねん、と皆に突っ込まれながらも、本人(犬)は以外とこの態勢が気に入ったようで、ふと気がつけばこうしているのを見かけるようになりました。
ワンコの学習能力というのはたいしたもので、冬場のお出かけ、人間は必ず上着を羽織るというのをよく知っていて、そういう姿を見ると自分でケージに入るのです。「お留守番」と声をかけてケージに入ったらおやつを与える、ということを繰り返した結果だそうです。そういう躾ならいくらでも受け入れられるというのに、老婆と言うべきこの歳になっても未だにご飯の用意をしている妻にきゃんきゃん鳴くというのは治りません。
これといって何も買わないのに、なぜ新幹線にのってまで東京の年末大バーゲンに参加するのか、自分なりに考えてみますと、師匠が常日頃書かれている「WAGNERは場である」ということに深く関係しているように思います。
写真は「世界の車窓から」のカレンダー。普通であれば縁もゆかりもないはずの方から毎年頂戴しているもので、ありがたいことに今年もいただいてしまいました。会場に到着したときには傘しか持っていなかったのに、会場を後にするときにはいくつも袋をぶら下げていて、まさしくわらしべ長者ですな、などと言われますけれど、私、元になるワラ一本持って行ったことがありません。誠に申し訳なく、ありがたいことでございます。で、こういう人間関係、それが「場」なのかな、と。まぁWAGNERにしてもY.Y.Pen倶楽部にしても、カリスマ的な人が立ち上げたもので、いずれ消滅するでしょう。でも、それはそれでいいと思います。そのときに、また別の「場」があれば、それで萬年筆趣味の人たちは楽しく生きていけるはずですから。
こちらも同じく、じゃんけん大会の景品にでも、といただいて帰ってきたもの。神戸か名古屋か、はたまた岡山か。私が出没する大会はそのあたりですし、それ以外の所ではじゃんけん大会もありませんね。今年はじゃんけん大会の景品にもより一層力を入れていきたいと思います。
さまざまな状況に置かれている人たちが、萬年筆やインクという共通の「趣味」だけで一カ所に集まってああだこうだと話し込む。そこにはもちろん、主義主張の違う人も混じっていますから、あれ、自分とは合わんなぁ、と思うこともあるわけです。でも「場」ですから、嫌なら離脱すればいいだけのことです。そういう、ゆるーく、そして一面では強固につながっている、そういうのを楽しめないと、趣味とは言えないんじゃないかなぁ、と思います。必死に趣味しちゃ、だめですよね。
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