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2014年1月29日 (水)

あれはどこ?

 当Blogには、まともな中身や信頼するに足る内容などは一切ありません。きっと作成者が馬鹿なんだろうな、まぁしょうがないな、と諦めて、暇つぶしにお楽しみいただければ幸いです。

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 お食事中の「くま(仮名)」さん。餌鉢を大事そうに抱えて食べているようにも見えます。こんな風に寝そべってご飯を食べるという、何ともお行儀の悪い習慣はどこから来たのか、気がついたらこうして食べるようになっておりました。昼間、誰も居ない家の中で一人(頭)という状態で育ちましたので、しつけが出来ていないのも当然と言えば当然です。

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 丸太で作られた大原女。京都バスの大原バスターミナルから三千院へと登っていく道中にありました。今を去ること四半世紀以上前、当時まだ交際中であった妻と二人、この地を訪れた記憶があります。寒い中、二人で大原を訪ね、とろろそばを食べて帰宅する途中、私が猛烈な腹痛に襲われて電車の中で悶絶していた、というのが主な記憶です。京都へ行く用事があったので、四半世紀ぶりに「思い出の」大原へ行ってとろろそばを食べてやろうと言う趣向でした。

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 いやぁ、懐かしいなぁ、となるはずでしたが、まずもって、三千院までこんなに上り坂だったのか、というところからして猛烈な違和感。記憶の中にある「大原」では、バス停を降りてちょろちょろっと歩いたところにあるお寺を拝観して、そのあとにとろろそばを食べたことになっているのです。ひぃひぃ言いながら坂を登った尾記憶がありません。そしてまた、記憶の中にある「大原」のお寺の境内は、もっと平坦で広かったはずです。

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 天台声明の根本道場の一角をなす実行院の不断桜。冬の間も花を付けているというけったいな桜です。こういうお寺があったのなら、25年前もおもしろがって拝観しているはずですが、そんな記憶もありません。三千院からこの実行院あたりまで、沿道にはとろろそばを供するお店もありましたし、何となく、こんなお店に入ったのかなぁ、という気がしないでもないのですが、どうもピンと来ません。寂光院にも立ち寄ってみましたが、沿道の風景に見覚えはあるものの、境内の雰囲気が違います。記憶がミックスされて取り違えているのだろうとは思うのですが、私たちの「大原」は、一体どこへ行ってしまったのでしょうか。こうして、惚けていってしまうのでしょうねぇ。

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コメント

くまさん お利口さんですねぇ。ちゃんと押さえて食べるなんて。

四半世紀以上も前の記憶なんて、それこそ霞の奥です。京都のような場所なら変化も小さいのでしょうが、岐阜辺りでは再開発の波やらナンやらで全く訳の判らないことになっております。

ワタクシ同じ万年筆を毎日触れていても、日によって長く感じたり、短く感じたりと感覚に違いが出てしまいます。
ましてや25年前、それくらいのズレが生じるのは当然のことと思われます。
なので、私の願いの一つは若かりし頃、交際していた女性には会わずにいたい、ということです。風景でさえこれだから、人ともなると..(以下自主規制)。

 きくぞう さん

 お利口ですよ、彼女は。ただ、岐阜の方には
もっとお利口な、ちゃんとバナナの空き箱に
収まって寝る子がいるそうで、お鼻の長いのが
ちょっと好みではないものの、可愛らしいなぁ
と思ってしまいます。

 すいどう さん

 四半世紀前から毎日ずっと見ていても、その変貌
ぶりは・・・って、これ、お互い様かな。

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