無為な1年
当Blogには、まともな中身や信頼するに足る内容などは一切ありません。きっと作成者が馬鹿なんだろうな、まぁしょうがないな、と諦めて、暇つぶしにお楽しみいただければ幸いです。
お昼寝中の「くま(仮名)」さん。子どもの頃、大晦日というと家中が殺気立っていて、朝ご飯を食べたら即お掃除、そして昼ご飯は本当の「軽食」で済ませて、とにかく日が暮れるまでに何とか家の中をきれいにする、という日でした。母は専業主婦でしたし、父は中学教師で、その時代は教師が休みの日に休んでいても咎められない時代でしたから、もう少し早くから少しずつ進めることも出来たはずですが、親たちには親たちなりにいろいろとやらなければならないことがあったのでしょう。さて今、自分が家族を持つ身となって、結局は妻にすべてを任せて自分は神棚の掃除くらいしかしないという状況。これではお正月の神様も「行くのやめよっかなぁ」ということになりかねません。
お節料理もあります・・・・・という証拠写真。もっとも、写っているのは膾とにらみ鯛だけ。実はこの下の段に重箱もあります。そしてこの写真はまた、年末のクソ忙しいときに家を空けて暢気にお江戸漫遊していたという私の罪状を証明するものでもあります。ひときわ存在感を放つ、緑色も鮮やかなバッグは、シェファー100年史共同購入の労をとってくださった某氏による「小商い」で入手したものです。ここに100年史の本をはじめ、東京でいろいろ買ったものなどを入れて、普通車指定席満席という状態の新幹線でゆっくり寝て帰ってきたのです。
往復の新幹線と宿泊がセットになったパック旅行では、何と1500円増しでグリーン車が利用できますので、関ヶ原の雪が気になった私は迷わずそちらを選択したのでした。こういう、どうでもいいところにだけよく気がついて、肝心なところには少しも気が回らないというのは、幼い頃からさんざん注意を受けたにもかかわらず治っておりません。三つ子の魂百まで、というのは、こういう悪いことにも言えるようです。
こちらのシェーファー100年史、判型はちょうどLPレコードのサイズです。といっても、若い人にはわからないかもしれないなぁ、と心配しなければならないような時代になりました。大阪万博が開かれた年、台所の柱にぶら下げられたAMラジオからしょっちゅう流れていた洋楽が変に耳に残っていました。バカな小学生の耳には「えるぴー、えるぴーぃ・・・・・」と聞こえていたその曲が、The BeatlesのLet It Beだと知ったのは中学生になってからでした。同じクラスになった堀君というのが、それはもうキがつくほどのBeatlesマニアだったのです。遊び仲間だった安達君の家に行くと、彼のお兄さんがBeatlesのレコードを全部そろえていて、それを聴かせてもらうのが私たちにとって「遊ぶ」ということでした。
今日は大晦日です。そしてBeatlesといえば、チャック・ベリーのRoll Over Beethovenなんて曲をカヴァーしてましたね・・・・・ということで、今日の1本はペリカン・コンチェルトです、なんて展開を考えていたのですが、肝心のコンチェルトが行方不明です。どこにしまい込んだのか思い出せない、最後に使ったのはいつだったのだろう、と、体だけでなく頭の方も老朽化が進んできました。建物であれば建て直し、クルマであれば廃車になるレヴェルですけれど、それでもまだこうして生きていられるのは、実にありがたい話です。
ところでこのシェーファーのロゴ入りバッグ、その材質から酷使には耐えられそうにないものの、結構使いでがありそうです。一般的な紅茶のティーバッグ2箱が並ぶほどのマチがあるので、結構いろいろと入れられますし、肩から提げられるほどの長い持ち手もついています。シェーファー100年史のほうは何度か見たら本棚で眠りそうですが、このバッグの方はちょこちょこ活躍してくれそうです。特に、迷惑じゃんけん大会がある会合に行くような場合は、これを折りたたんで持っていくとよいでしょう。
今年もまた、誰もが名前を知っているような人が亡くなった、というニュースをよく聞きました。そして今日も、大滝詠一さんの訃報。いい人ほど、惜しまれるような人ほど早く亡くなるのだとはよく言われることですが、実際、あの人が死ぬんなら私が代わりに、なんてことをよく思います。でも、やりかけて放ってある仕事はいっぱいあるし、家の中には自分でなければ何だかよくわからないものが山のようにあるという状況で死んでも、残った人が迷惑するだけです。1年の終わりの日に、よし、しっかりと家の中の片付けをしよう、と誓いを立てた私でした。
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