楼蘭
ケージの中でひっそりと横たわる「くま(仮名)」さん。毎日遅く帰ってくることに愛想を尽かしたのか、ここのところは飼い主が帰宅しても熱烈歓迎してはくれません。それでも、飼い主の動きを目で追っているあたりは犬のかわいらしいところです。猫はそんなことをしないのじゃないかと認識していますが、そんなことを書きますと、していないように見えてしているのだ、という猫派の方からの反論が出そうです。
さまよえる湖、ロプノールの畔に栄えた王都楼蘭は、歴史の上からも地図の上からも忽然と姿を消してしまったわけですが、およそ100年前の今日、へディンによって遺跡が発見されたことから、今日は「シルクロードの日」なのだそうです。
私も書類関係の処理をようやく終えて、今日から身の周りのお片付けに入りました。アメリカの映画やドラマで見るような、ボックス一つを抱えてオフィスを去る、なんて転勤を一度はしてみたいものですが、現実はボックス一つどころかドラック一杯というところです。いつ終わるともしれない片付けの中、ときおり面白いモノが出てきます。そうなると片付けそのものよりも、もっとオモロイものが出るんじゃないかと、ヘディンやスタインさながらにあちこち探索してしまうのです。
自分がこの先使いそうもない変なモノが出てくるたび、隣に座っている22歳の同僚に「あげる!」と手渡すのですが、このななメモなんかにも興味津々、とりあえず変なモノは手にとり、実に嬉しそうな表情でその使い心地を確かめています。最近、テストの採点も萬年筆でやるようになった彼は、もし蒐集など始めたら確実に「半」になるはずです。委員長の私が自信を持っておすすめする、次世代の「半」を担う逸材です。
これ、書いたメモちぎっていったら、カレンダーは・・・・・と言いかけて、「半」な同僚は言葉を飲み込んだのでした。彼が言いたかったのは、メモ用紙の山が薄くなって行くにつれ、斜面に印刷されているカレンダーが削れて見えなくなってしまうのではないか、ということなのですが、その心配は要らないのです。
こんな風に凝った印刷がなされているので、最後の一枚になってもしっかりカレンダーを読み取ることが出来るのです。それならはじめから、全部同じ大きさのブロックメモにしておけばよいのに、なんてことを言い出すと、世の中から面白い文具がなくなってしまいます。「半」が喜ぶような、一見無駄な労力が注ぎこまれた製品こそが面白い製品なのです。
「楼蘭」を書いた井上靖さんのモンブラン146には、こんな風に絆創膏が巻いてあったのだとか。当然キャップをしめることが出来ませんが、その必要がないほどに立て続けに書いていらっしゃったのか、それとも乾いたら吸入する、なんてことを繰り返してらっしゃったのでしょうか。絆創膏なんか貼ったら、あとがネチャネチャで大変でしょうが、そもそもはがすつもりもないし、絆創膏がダメになったら新しいのを巻くだけですから問題ないのでしょうね。こういうのを見ると、1本ぐらい146を持っていてもいいかな、なんて思いますが、手元にはセーラーのプロフィットが山ほどありますし・・・・・。
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