昭和基地開設記念日
ちん、とお座りをして、こちらを見上げている「ちち(仮名)」さん。深夜というか、もうそろそろ新聞配達の人が走り始める時間帯です。彼女のケージの前あたりで、家族が入れ替わり立ち(寝)替わり横になります。こいつは寝転んでテレビ見てるだけだな、というときはギャンギャン鳴いて遊ぼうよと呼びかけてきますが、あら、寝てもうた・・・・・となると自分もおつきあいしましょう、となる、ヤンチャではありますけれども優しいワンコです。
昭和32年の今日、我が国の南極観測隊がオングル島への上陸に成功したのを記念して、昭和基地開設の日となったそうです。写真の近鉄6020系は、私がまだ小学生だった頃に登場したもので、この一つ前の6000系(6900系)が当初こういう塗装で世に出たのに対して、初めからマルーン1色でした。登場時はもちろん非冷房車でしたが、ラインデリアという、今ではごく普通となった送風装置が珍しくて、乗った列車にこれが充当されていると天井ばかり見ていた記憶があります。
ラビットマーク。昔はこれ、ステンレスか何かの板を切り抜いたものが貼り付けてあったのです。阪神ジェットカーと近鉄ラビットカー。当時としては可減速性能が突出していて、冷静に見れば乗り心地の悪い電車の代表格ですね。事実、最初に世に出たラビットカーはほぼ車内全域にわたって4列のつり革が付いておりました。揺れるからしっかり掴まっててね、ってことでしょう。
今では出入り口付近だけつり革の丈が短いのが当たり前ですが、この6020系が世に出た頃は、出入り口付近のつり革は引っ張るとアームが伸びる「折りたたみ式」になっていました。世の中、今と比べると小柄な人が多かったのだから当然でしょうね。同じようなつり革は京阪電車にもぶら下がっているのを見たことがあります。きっと各社で採用されていたのでしょう。
連結面に取り付けられた転落防止装置、最近は標準装備になってきましたね。今後は先頭車の連結面にも何らかの形で取り付けられていくことになるのでしょう。それと、ホームドアの設置も各社で進んでいます。人に優しいのは良いこととして、優しくされている方の人も、もうちょっとしっかりしなければならないのでは、と思います。安全対策が進むのはおおいに良いことなのですが、自分の身は自分で守るという意識を持つこととセットでなければ、どこまで行ってもキリがありません。
南極観測隊の話に戻りますと、今年もまた、観測船が目標地点に到達できなかったとのこと。越冬隊の人たちにとっては厳しい条件になりますが、それでもそういう悪条件のもと、科学の発展のために極寒の地に自ら「籠もる」というのは凄いことだと思います。
それはえぇけど、なんで南極観測の話にラビットカーやねん、って思った人もいらっしゃるでしょう。そのわけは、この写真。歴代の南極観測船はみんなオレンジ色ですね。特に私などは、南極観測船っていうたら「宗谷」「ふじ」やんか、となる世代です。特に、氷の海に閉じ込められた宗谷がオビ号に助けてもらったエピソードなんてのは、何度も何度も「絵本で」読んで感動したものでした。懐かしいですね。名古屋へ行けばこいつに出会えます。休日には、ここからリニア鉄道館までの船便もあるという、これは行くしかない、という感じのロケーションですが、名古屋へ行ったら大須でラーメン、というのがおきまりになっているので、なかなか港の方へは足が向きません。それに、休みの日に行こうものならチビさんがあふれていて疲れます。
南極大陸における我が国の観測拠点が「昭和」基地っていうのは、私たち昭和生まれのものにとって嬉しいことです。でも将来、基地が老朽化して新築とか移転とかになったら、名前も変わってしまうのでしょうか。多分そんな頃まで生きてはいないと思いますが心配ですね。
宗谷の船首にPILOTって書いてある(IとLが逆ですが)。この船のメインスポンサーはあのペンブランドなのかっ!?なんて冗談はさておき。男の子(笑)にとってオレンジ色って冒険を想起させる色なんですよねぇ。
投稿: すいどう | 2013年1月30日 (水) 21時28分
すいどう さん
たしか科学特捜隊のユニフォームもオレンジだったような気が・・・・・
投稿: つきみそう | 2013年1月31日 (木) 00時27分