
ペロリと舌を出した「くま(仮名)」さん。食卓の舌に入り込んでうろうろしていて、何かお相伴にあずかったのでしょう。
そうですか、世間は父の日ですか・・・・・というお父さんも多いといわれているこの日。母の日は赤いカーネーションで、父の日は白いバラ。世の萬年筆好きなお父さんたちは奥さんや子供たちからすてきなペンをプレゼントされているのでしょうか。我が家の場合、プレゼントせんでもナンボでも持ってるやろ、ということでそれはありません。お父さんは一日、犬たちと一緒に寝て暮らしておりました。
そもそもこの犬はなぜ「くま(仮名)」なのか。それは先代の犬が「クマ(実名)」だったからです。小学校3年生で担任していただいた先生に、子犬が生まれたけどいらないかと聞かれて、是非ください、ともらってきたのが初代の「ペス(実名)」でした。4頭いるうち、1頭だけ、もらったおやつ(ゴボ天だったと思います)を茂みの奥まで運んでいって食べたのが印象的で、この子、と決めた、その光景を今でも鮮明に覚えています。

「ペス(実名)」は雄で力が強く、これを散歩に連れて行くうちに腕力がついて逆上がりができるようになった、という、ちょっと信じがたい話もあります。非常に賢い犬で、食パンが大好物。台所の外につないであったのですが、「今朝はパンにする?」と母が聞く声を合図に壁をガリガリ、というほどでした。
当時は、残ったお味噌汁にご飯やおかずの残り物を入れて炊いたものが犬の餌。食べてはいけないネギ(当時はそうとは知りませんでした)だけをしっかりよけて残していたのは、今思うとさすがでした。
この「ペス(実名)」が、中学3年で受験目前という冬の夜、散歩の最中に何度も何度も立ち止まって振り返り、私の顔をじっと見るので、どうも変だなと思っていたのですが、翌日の朝10時頃、母に看取られながら逝ったのでした。そのとき4回鳴いた、というので、きっと家族の一人一人に挨拶していったんだろう、などと勝手な解釈をしておりますが、間違いではないかもしれません。

そのとき、亡き父が「ペス(実名)」の小屋を即日取り壊したことが印象に残っています。きっと、家族で一番彼を愛していたのが父だったのでしょう。彼もそのことはよく知っていたのか、父のいうことは大変によく聞いておりました。子供心に、こんなに世話してるのにほとんど家にいない父のいうことばっかり聞くなんて・・・・・と思っておりましたが、犬は家のリーダーが誰か、よく知っているものなのですね。
時は流れて、社会人となった私。まさしくパラサイトで、母が長期にわたって入院していたこともあり、炊事洗濯、すべて父と妹に面倒を見てもらっておりました。やがて母が逝き、初めての異動。そこに迷い込んできたのが「クマ(実名)」でした。あまりのかわいらしさに思わず連れ帰ると、大喜びの妹と、非常に不機嫌な父。けれども、結局はこの「クマ(実名)」も、一番かわいがったのは父でした。
そもそも父の日とは、お父さんに男でひとつで育て上げてもらったことに対する感謝の気持ち、それが起源なのだそうです。ですから私などは世間の誰よりも父の日に一生懸命になるべきですのに、父が存命中はほとんど何もした記憶がありません。ラジオが好きでよく聞いていた父に、当時最新鋭のコンパクトなラジオを贈ったことがありますが、それとて結局、自分が良いと思ったものを贈ったのに過ぎず、きっと父には使いにくかったことでしょう。

高倉健さんや、ゴルフの杉原輝雄さんなど、寡黙(なイメージ)で、自分のことよりまず人のこと、みたいなイメージがある人が好きです。実物にあったことがないので、それらは勝手な思い込みでしかないのですが、どうしてそんな人に惹かれるのか、それはやはり、父がそんな人だったからだと思います。
実に15年以上も病床にあって、わがままを言うこともなく、ただただ静かに寝ていた父。ぐぅたらで、わがままで、やりたい放題。子供の近くにいると悪い影響しか及ぼさないような私と正反対で、最も遠い存在です。隔世遺伝、などといわれるのが本当のことであると信じて、息子や娘には良き父、良き母になってもらいたい、そう願わずにおれません。
犬をかわいがっているとき、あぁ、父はこうではなかったな、と思うのです。目に見える形は素っ気ないのだけれど、注ぐ愛情の豊かさ、深さは、私などとうてい足下にも及ばないほどのものであったことから、改めて父の大きさを思い知るのです。
犬を愛した父。そして私が運営しているのが犬のBlogということで、今日は犬づくしでお送りしました。

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