なんとなく終わる
大晦日の夕食は年越し蕎麦。育ち盛りの子供たちにとっては物足りない・・・・・と思いきや、5人家族で何人前の蕎麦を茹でたのでしょうか、皆さんおなかを押さえて苦しそうにしております。蕎麦だけではかわいそう・・・・・と妻が用意した揚げ物なども残ってしまい、その匂いにつられて「ちち(仮名)」さんがひょいっと顔を出しております。蕎麦にいる長男の顔と残り物とを交互に見ては、頻繁に「伏せ」の姿勢をとるなどして、残ってるんだったらどうか私にくださいな、と盛んにおねだりをしております。
傍若無人な「ちち(仮名)」さんが遊びのつもりで噛みついたりマウンティングしてきたりするのが嫌で、「くま(仮名)」さんは食卓の下、飼い主たちの両足の間に隠れています。昨年の大晦日の時点で、すでに「ちち(仮名)」さん優勢でした。来年は「くま(仮名)」さんに盛り返していただきたいところです。
最低限のことしかできませんしませんでしたが、どうにかお正月を迎える準備もできました。あとはゆっくりと待つだけ、ですが、この12月31日から1月1日になる瞬間というもの、なぜか知らずに過ごしてしまうことが続いております。
若い頃は、伊勢神宮の内宮正殿下の石段前でこのときを待つのが例でした。結婚前だった妻と二人、外宮参拝を先に済ませて23時頃には内宮へ。ラジオで第9を聞きながら寒い中で待つこと小一時間。時報と同時に雪崩のごとく動き出す人の波に身を任せ、何とか賽銭箱の前までたどり着いたら二礼二拍手一礼。そこから脱出するのもまた大変でした。
そのあとは大三輪神社や橿原神宮、ひどいときにはそこから京都の北野天満宮まで「初詣のはしご」をしたこともありました。北野天満宮に行ったとき、やっと来たバスがバッテリー不良のためと称して暖房を切っており、外で待つより寒い思いをしたのも懐かしい思い出。大晦日の夕刻から元日の朝まで、今思えば神様をだしにしてデートしていたわけですが、若かったからこそできたこと。今でしたらとても無理な話です。
昨年も、PILOTカスタムの般若心経入りシルヴァー軸で締めくくりました。ペンドクター奥野氏に二度三度と診ていただいてようやく滑らかな書き味になったとはいえ、そこは細字の悲しさ、私のように字が不自由なものが書くと何とも貧相な、情けない筆跡となります。いつの日か、同じペンの中字あたりを手に入れられたら、という思いが、この一年、ずっと胸にありました。
今年も残りあとわずか、という中部大会に御大Nさんが持ち込まれていたペンの中にあったこの1本。それこそ一期一会、今ここで手に入れなければ、と連れ帰ってきたものなのです。そしてこれは、望外のBなのでした。
PILOT好きならば1本は持っているペン、とも言われますが、その多くは細字や中字。作られた時代を考えても、太字は少ないのが当たり前です。それが今、目の前にある。キャップを開けてしまったことを後悔しつつ、一度はトレイに戻した私でした。
どうしても窓口に差し出さねばならない郵便物があったので、会場を出て地理不案内な名古屋の街をさまようこと1時間あまり。ようやく戻ってくると会は終了間近でした。Nさんはお話中でしたが、目の前のトレイには・・・・・おぉ、まだいました。それを見て、このペンは私のところにくることになっているのだ、と確信したのでした。
Nさんからは、この文字はそもそも書家の田中塊堂先生の手によるものであることを教えていただきました。そしてもう一つ、なんでBだとわかったの、とも聞かれたのですが、それはもう、キャップをとってすぐわかったのです。やはり、こういうものがほしい、と探していると、その特徴ある姿がすぐに目に飛び込んでくるものなのですね。
Nさんからは後日、田中塊堂先生の書かれた般若心経の写経手本を送っていただいたのですが、これを見て二度びっくり。薬師寺の写経用紙だったのです。灯台もと暗しとはこういうことを言うのでしょう。この日の記事にするために、Nさんにはお礼のメールもせずにだんまりを決め込んでおりました。ここではじめて、Nさんにお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。
様々なことがあったこの一年、私の場合は例によって何となく終わろうとしております。今日も、大まかなことだけ考えてあったのを、適当に「指からでまかせ」でキーを叩いて記事にしました。来年もこのいい加減なスタイルは変わらないと思いますが、来るべき年が皆様にとって、そして萬年筆にとってよい年でありますように。その思いだけはしっかりとしております。ありがとうございました。
なお、明日は1日ですがトレドの日ではありません(このシリーズは終わりました)。当然、トレドで寅を作ったりもしません。同じことばっかりやっていては進化がないですから(単に継続性がなく飽きっぽいだけ)。
よいお年を。
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