晴 時々・・・
暴れまくったはずみに餌鉢を踏んづけてしまい、ケージの外へとこぼれてしまったフードを見つめる「ちち(仮名)」さん。それまで餌鉢の中に放置してあったものですが、手の届かないところへ行ってしまうと恋しさが募るようです。
今日は始業式と離任式の日。一見強面で近寄りがたく思える校長も異動されました。子どもというのはけっこう本質的なところを見抜くようで、職員室前にある部活動用の連絡黒板に書き込まれたメッセージから、異動した校長が子どもたちに深く愛されていたことがわかります。強面で強がりな人でしたので、絶対に泣くものか、という構えでしたが、黒板を見るなり涙腺が動きはじめておりました。
少し前まで、私の業界には、転出者を「送る」という風習がありました。離任式のあと、転任者の新しい勤務校まで付き添っていく、退職者の自宅までお送りする、というものです。これがまた、実にふさわしい人が送っていくので、それを見た若い者にはとてもよい社会の勉強になったものです。
送られる人にゆかりが深く、新しい勤務校の人から見て「これぐらいの人が送ってくるんだから、こんど来た人はすごいんだな」と思わせなければなりません。そのあたりが実に「虚礼」っぽいので、虚礼廃止という言葉のもと、今ではほぼ廃絶してしまいました。ただ、記憶の中には残っていますので、送り出す人への思いが強い場合などには臨時に復活するのです。今日がまさしくその時で、私が校長をお送りしました。実に名誉なことで、同時に自分が歳をとったのだな、ということを強く感じました。
はなむけ、という言葉は、ご存じのように「むま(馬)の鼻向け」、すなわち、門出をする人が乗る馬の鼻を目的地に向けることに由来しております。そこで、鼻向けにちなんで、教師の必需品、指示棒の逸品をご紹介いたします。
すでに廃盤となって久しい「晴れ 時々 ブタ」の指示棒です。使いやすいものとは言えませんが、ツカミが8割9割といわれる教師の世界では、特に新学期、たいへんに強力な武器となります。こいつでツカんでしまえば、あとはサボらない限り大丈夫。人間対人間ですので、「何か面白いぞ」というイメージを持ってもらうことが重要なのです。
昨今、精神的に追い詰められて教壇を去っていく教師が増えておりますが、その多くはまじめで力のある、居なくなるのは教育界の大損失、というような人ばかりです。ただ、こうしたバカなものでも使ってツカんでやろう、といった「アホになれる」面がないと、なかなかやってはいけない、それもまた真実なのです。この春、新しいスタートを切ったすべての人に、幸せな毎日がありますように。
コメント
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やられた!
今日の記事はすごいです。
前半しんみりとさせて、最後に大どんでん返し。
座布団10枚!!
投稿: ひろなお | 2009年4月 6日 (月) 23時57分
ひろなお さん
まぁ毎日書いていればいくつかはアタリも出るかと。今日お送りした校長は、結婚披露宴にも来ていただいた縁浅からぬ人なので、送って行かせてもらったことを嬉しく思っております。
山田君に幸あれ(しつこい)
投稿: つきみそう | 2009年4月 7日 (火) 00時29分
[送る]とてもいいお話ですね、送っても送られても気持ちは無言でも伝わるものと信じます。日本には昔から[おもてなし]とか[思いやり]とか優しい文化があったと思うのですが・・指示棒は相変わらず興味深いです、可愛い豚ちゃんで厳しく指導するか、厳しい指示棒でユーモラスに指導するか興味があるところです(笑)
投稿: 夢待ち人 | 2009年4月 7日 (火) 07時43分
さすが教師ですね!
豚には唖然とさせられました。
さて、何を講義されているのでしょう??
投稿: 二右衛門半 | 2009年4月 7日 (火) 08時04分
夢待ち人 さん
そんな、送ってくれなくてもいいよ、などといいつつ喜んでもらえてるのだとしたら嬉しいことです。若い頃はそういう習慣がまだ盛んに行われておりましたので、私も大先輩の先生に送ってもらったことがあります。
指示棒は完全に小道具でして、顔はにこにこで「はい、これを明日までに覚えましょう。テストしますからね」なんてにっこり言います。
投稿: つきみそう | 2009年4月 7日 (火) 09時37分
二右衛門半 さん
指示棒ですから先端部は細いモノ、という常識を覆す仕様ですね。それが災いしたのかロイヤリティが高かったのか、現在は手に入りません。色がはげているあたりに実用の道具としての凄みが出ております。
指示棒の先っちょと同じ体型の我が妻がこれを振り振りしらっとしゃべるあたりにおもしろみを感じていただければ幸いです。
投稿: つきみそう | 2009年4月 7日 (火) 09時40分