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2008年9月

2008年9月30日 (火)

今日もまた、雨、雨、雨

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 曇り空の朝、喜び勇んでお散歩に出かけた「くま(仮名)」さんでしたが、おうちを出て最初の角を曲がったところで突然の強い雨。ご本人は平気な顔をしておりましたが、飼い主はたまりません。あえなく帰投となりました。結局今日も、ろくな運動ができなかった「くま(仮名)」さん、もはやあきらめ顔です。

 雨の日は萬年筆に触らない・・・訳でもないのですが、とりあえず目の前の不調PCを片付けないことには、いつまでも机が占領されたままです。昨日登場願った、黒くてイカすキューブPCは、結局ネットワークアダプタのドライバが見つからず、あえなくお蔵に逆戻り。その代わりとして、半年以上前に同僚からもらったPCと、あり合わせのパーツで1台でっち上げることにしました。

 ベースとなるマシンは、SOTEC製でセレロン2.5GHz、メモリはDDR、ロープロながらAGPスロットあり、とまずまずの素性。完全に壊れていて使い物にならない、ということで、不要品を押しつけられてしまった戴いたものです。調べてみますと、光学ドライブが中途半端に壊れていただけで、ほかは全くの健康体。いつかドライブを取り換えて再生しようと思いつつ、放置してあったものです。
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 割とコンパクトな筐体を開けて、手前にどーんと見えているのが壊れたCD-ROMドライブ。こいつを手持ちのマルチドライブに取り換えるついでに、奥に見えている80GB/5400rpmと控えめなHDDも、320GB/7200rpmに交換します。

 気づいてびっくり、メモリは256MBと、全然やる気の感じられない容量でしたので、これもカタログスペックを無視して2GBに増量しました。ただCPUだけは、ず~っとAthlonな人でしたので、インテル系CPUの手持ちがないこと、クーラーが変な構造で付け外しが面倒くさそうなので交換せずにそのままです。

 xpで事務仕事やネットならストレスフリー、どんなものかを感じる程度ならVISTAでも走りますよ、という環境が目標ですので、ほこりをかぶっていたGeForce6200を引っ張り出してきて装着。おかげさまで、机の周りや引き出しが少しだけ片付きました。

 とりあえずふたを閉める前に電源を入れてみます・・・・・OK。問題なく動いております。これから、xpとVISTAのデュアルブート環境をつくり、アプリケーションをインストールし直します。なぜかこういう作業をしていると、朝が早くやってきます(泣)。

2008年9月29日 (月)

雨、雨、雨

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 土曜日はいい天気でしたが、日曜日は曇りのち雨。そしてブルーマンデーはしのつく雨。ずっとお散歩に出られない「くま(仮名)」さん、いい加減苛立ってきております。

 ケージから出して、玄関ホールで少し遊んであげました。納得すると、自分からケージに入っていきます。ケージの外に出してもらう→しばらく遊んでもらう→ケージに入るとおやつがもらえる、というループがしっかり形成されているようであります。

 さて、雨が続いたためでしょうか、知人のPCが先週末から立ち上がらなくなったと持ち込まれてきました。このマシン、ペンティアム3の1GHzという、古き良き時代のマシンで、以前も起動不良で開腹してみたところ、コンデンサーがパンパンに膨張していた、というものです。今度は何だろう、と起動。一応電源は入るものの、Windowsのロゴあたりで落ちてしまいます。

 開腹してみても、目視では異常なし・・・と思いきや、メモリスロットの爪が緩くなっていて、片方のメモリが浮いておりました。なんや、これかいっ、とはめ込んで、よっしゃ直ったやろ、と起動してみるも、症状変わらず。

Rimg0148 何やろ・・・。別のメモリを挿して試してみたいところですが、PC-133のSD-RAMなんていうのはさすがに手持ちがありません。

 何とか回復コンソールを立ち上げて、ディレクトリをとろうとすると、思いっきり待たせた挙げ句、「ディレクトリを列挙するときにエラーが発生しました。」という、結局は役に立たないメッセージ。せっかくですから、次にHDDを疑ってみることにしました。

 サクッと再インストールするのもいいのでしょうが、こんなメッセージを見てそのままにしておくのは、頼ってくれた知人に失礼です。とりあえず、遊んでいるIDEのHDDを見つけて、これでやってみようとごそごそやっているうちに・・・・・とうとう、電源が入らなくなりました。とどめを刺してしまったようです。

 いろいろ切り分けて、原因を探って・・・というパワーと時間がないので、かわりになるマシンを探しました。腐海の底から出てきたのがシャトルのSN85G4。ボワボワとうるさいマシンですが、とりあえずはこいつを整備して急場をしのいでもらおう、と。

 このマシン、オンボードのLANが不調なために別のLANボードを挿してあるのですが、なぜかドライバーがあたりません。古色蒼然たるグラフィックボードも、ぴったりのドライバーが見つかりません。急場をしのぐつもりが、かえって手を取られてしまって大変です・・・。

 萬年筆もPCも、しばらく使わないで放っておくと使えなくなってしまう、という共通点があることを実感したのでした。

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2008年9月28日 (日)

イタリアの天狗

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 真上から見ても、あまりお鼻の長くない「くま(仮名)」さん。一方、お鼻の長い天狗さんは、山深いところには、今でも居るんではないか、そう思っております。
 ところで、キャップリングに天狗のようなものが描かれたペンですが、この絵柄、天狗ではなく、演劇に使われる仮面ではないでしょうか。2_3伎楽面の「治道(ちどう)」などに見られるように、鼻が高いのを強調した仮面ではないか、というのが、ペンを見た人たちで一致した結論でした。あの、ヴェニス・カーニバルのボディとか、劇団四季のオペラ座の怪人のポスターなんかに描かれているような仮面です。

 で、そのペンは、1993年にAuroraが出した、Calrlo Goldoniというものです。イタリアの劇作家カルロ・ゴルドーニの没後200年を記念した、という、変なものです。いつものことですが、私は変なものが大好きです。

 だいたい、亡くなっている偉い人はいっぱいいるわけですから、没後何年を記念しだしたらきりがありません。この人は、18世紀ヴェネチアの劇作家で、1731年にパードヴァ大学で法学士の学位をとった後ヴェネチアで弁護士として開業しましたが、演劇関係の仕事に熱中して34年頃には劇作家として認められるようになりました。39年にはジェーノヴァ駐在のヴェネチア領事となったものの、芝居への情熱を捨てきれずに辞職してしまった、という、打ち込んだ系の人だそうです。
 脚本に基づいて芝居を行うという演劇改良を行ったのが功績としてあげられているようですが、じゃあそれ以前の演劇って即興だったのでしょうか・・・。1762年にフランス宮廷に招かれてパリへ移ったものの、1789年のフランス革命により落ちぶれてしまい、貧窮のうちに亡くなったのが1793年、ということです。
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 で、ペンを出した理由も変ですが、このペンは実用面においても変です・・・いや、素敵です。とっても素敵です。一部の人にとっては、わぁ~っと叫んでしまいたいほど素敵なのです。で、私もその一部の人です。

 「萬年筆評価の部屋」で、師匠が良いぞ良いぞと書かれているのを拝読して、気にはとめていたのですが、eBayで軽くBid!したものがそのまま最後まで通って落札できてしまったのです。届いたペンにインクを入れ書いてみると・・・いいんです、これが。ペン先の、「穂先」が少し長いので、よく撓るのです。個人的にとても好きな書き味で、しかも外国製には珍しい細い字幅。あまり速書きをしない私にとっては、実用性と気持ちよさを兼ね備えた、とてもいいペンです。

 写真で、比較のために引っ張り出されているのは、家人の所有するアウロラ・オプティマです。総合的には、オプティマなどについているペン先の方が優れているそうですが、見た目のシャープさといい、書き味といい、久しぶりに「当たり!」といえるペンです。
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2008年9月27日 (土)

天狗

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 ぺろぺろとおいしそうに水を飲む「くま(仮名)」さん。真横から見ても、それほどお鼻は長くありません。この短さが決めてとなって、彼女は我が家の一員となりました。
 反対にお鼻の長いものというと、バク、ゾウ、そして天狗ですね。こらこら、天狗は実在せぇへんやろがっ、と皆さんおっしゃいますが、本当にそうでしょうか。

 その日、私の祖母は、多めに作ったおかずをお裾分けしようと、親戚にあたる女性の家を訪ねました。道沿いに流れる川を渡り、小さな丘の向こう側に回り込んだところに、その家はぽつんと建っています。

 ひとしきり世間話をしているうちに、陽が山の向こうに隠れようとするのを見て、祖母は腰を上げました。見送る親戚の女性は、もう訪れる人もないだろうと、そのまま雨戸を閉め始めます。

 小さな丘の裾を回り、この先へ行くと女性の家が見えなくなる、というあたりまで来たときでした。けたたましい笑い声が、祖母の頭上から降ってきたのです。振り返った視線の先、女性の家は、すでに雨戸が閉じられ、外灯の明かりだけしか見えません。

 天狗。祖母の脳裏に、その2文字が浮かびました。こんな寂しい夕暮れ時、しかも山村。これほど大きな声で笑うものなどいるわけがないのです。

 一人で山に入ると、なぜか不思議なことに出くわすものです。天狗のような、人智を超越した「何か」がいたとしても不思議ではないわなぁ。祖母からこの話を聞いたとき、私はそう思いました。

 さて、写真は、今日、台湾から届けられたもの。このペンを手にしたとき、興味の対象はペン先であって、それ以外の部分にはまったく注意を払っていませんでした。

 夕刻、Pen and message.で、早速このペンをお披露目したところ、観察眼の鋭いFさんから「おぉ、このペン、天狗がおるぞ!」というお言葉。

 何事かと、ルーペまで持ち出して凝視すると、確かに天狗です。 「天狗はこの国の言葉でなんていうんやろ・・・」さっそく携帯電話の辞書で調べようとするのを、Hさんが止めます。そう、天狗のいない国の言葉に、天狗に相当する単語はありません。

 さて、この天狗の描かれたペンは何でしょう。わかる人にはすぐわかるのでしょうが、とりあえず引っ張って・・・明日に続きます。 Rimg0113

2008年9月26日 (金)

ワードプロセッッサ

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 今日9月26日は、伊勢湾台風の日。1959年のこの日、15号台風が上陸、猛威をふるったことによるものだとか。9月26日は9月17日と並ぶ「台風襲来の特異日」で、台風が日本に上陸する可能性が高いのだそうです。実際、今日も、一時警報が出るほどの激しい雨でしたが、雨が降り出す前にお散歩を済ませた「くま(仮名)」さん、ゆったりとくつろいでおります。

 さて、もうひとつ。今日は、「ワープロの日」です。1978年のこの日、世界初の日本語ワードプロセッサJW-10が、東芝から発売されました。ミニコンTOSBACベースの、事務机ほどの大きさ(というより、見た目は大きな事務机)のもので、価格630万円。 250pxtoshiba_jw10_2

 萬年筆が廃れていったという話になると、ボールペンの台頭というのがまずきて、さらにワープロやパソコンの普及により手書き文字が減り・・・と、飽きるほど目にした文章が続くわけです。

 昭和の頃のワープロは、悪筆な私にとっても手書きよりストレスがたまるようなモノが多かったのですが、知的好奇心をくすぐられてしまったのか、結構ワープロに入れ上げた記憶があります。

 その頃は、手書きで文章を作ってワープロで清書、という人の方が多数派でした。

 必要な時だけ、私のワープロ(1987年当時、職場に個人のワープロを置いている人なんてほとんどいませんでした。)を使いに来ては、「こんなもん、使いにくぅてしゃあないわっ!」とか何とか、ケチをつけながら長時間占有した挙げ句、「この文書、あんたのフロッピーに入れといてや。」と当然のように言い放って去っていく、そんなかっこいい人も少なからずいたのです。

 自分の文書は自分のメディアに保存する、当時、私の周りにいた人たちにとっては、これが当たり前ではなかったようです。そういう人たちの多くは、今に至ってもコンピュータでファイルのコピーすらできないままで、苦しい思いをされているようです。

 そうこうするうち、ワープロがラップトップ型のものへ、さらにパソコン上のワープロソフト「松」へと変遷し、ついでにパソコン通信にハマって、その勢いでインターネットへ。そこで得た情報に影響されて、また萬年筆熱が高まってきたのです。

 予備知識なしに百貨店で見て、すぐ惚れ込んで買ったのが、仙台大橋堂の萬年筆。黒いエボナイト軸にチェイス模様の入ったものでした。しかし、その地味な外観が災い(値段の高いものには見えない)して、よく無断借用されました。

 引き出しにしまっておいても持ち出す輩がいて、結局、PILOTキャップレスの黒軸(マットタイプ)とともに、行方知れずになってしまいました。今頃、誰かの引き出しか筆入れの中で、インクが干上がった状態でいるのかと思うと不憫でなりません。

 で、それならと派手めのを、と購入したのが、同じく大橋堂の玉虫塗りのペン。現在は、セーラーの極黒を入れて主に宛名書きに使っています。

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 ところで、スタートして1週間以上たちましたこのBlog。毎日、犬が出てくるので、サブタイトルに「猫も杓子も・・・」と書いた、その意図がバレているのでしょうか、1週間たつのに、どなたからも突っ込みが入りません・・・・・。

 「それも言うなら、禰子(神主)も釈子(僧侶)も、やろがっ!」と突っ込まれたら、「あ、すんません、ワープロの誤変換ですわ。」と逃げようと思ってたんですが・・・。

※ ねこもしゃくしも、の語源については、実際のところ、これという決定的な説があるわけではありません。4~5説あるようです。

2008年9月25日 (木)

模様

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 実は、「くま(実名)」という犬を、過去に飼っておりました。「くま(仮名)」の先代にあたります。いえ、血縁関係ではなく、単にその前に飼っていた、というだけなのですが・・・。

 ダンボール紙のような色の体に、車だん吉さん(http://www.asaikikaku.co.jp/profile/kuruma/)がコントで泥棒の役をしてる時みたいな(・・・って、シェパードみたい、っていえばすむ話)、口の周りから鼻先にかけて真っ黒という犬でした。
 それ以来、我が家ではその系統の色を「くま色」と呼び習わしています。ペットショップなどでは、「赤」といわれる色です・・・(って、これだけを書いた方がよっぽどわかりやすい!)

 で、当代の「くま(仮名)」さんは、黒柴ゆえになかなか凝った模様をしております。黒と白のモノトーンの彼女が派手めなオレンジ基調の毛布の上に座っている、この組み合わせがいけてます。

 破れてきた古い毛布で作ってもらったこの敷物、彼女はいたくお気に入りで、ひろげてドテ~っと寝たり、鼻先でケージの隅の方へ押しやって盛り上げて枕にしたり・・・って、結局、寝るだけかいっ!

 とってもお気に入りなので、粗相をしてしまって取り上げられたりすると、とても悲しそうな目で行方を追っております。ひょっとしたら「くま(仮名)」は、ライナス(まだ生きてる?)の生まれ代わりなのかもしれません。

 ところで、模様といえば、恐竜の体の色や模様って、どんな感じだったのでしょう?Gorgo_2

 イメージとしては、自衛隊の車両や艦船みたいな色、黒と茶の混ざったような色など、、あまり華やかとはいえない色を思い浮かべてしまいます。
 実際、化石から生きていたときの色を知ることはできないと考えられていた(過去形)ので、しかたなく無難(?)な色で表現してきた、ということなのでしょう。

 恐竜の中には、視覚が発達し、色を識別できるものや、羽毛のような構造の表皮を持ったものもいたという研究もあるそうですし、今年の夏には、こういうニュースもありました。
http://www.technobahn.com/cgi-bin/news/read2?f=200807111501

 まぁ、その時代、生き物の中では大きな顔をしていたわけですし、強いものはそれなりに、捕食されそうなものはそまたそれなりに、自分の体の色なり模様なりを発達させていたと考える方が自然です。

 さて、模様の話で引っ張ってきたので、今日は模様が特徴的な萬年筆です。純銀軸のプラチナ製、わかっていることはそれだけです。金色のところは何なのでしょう。いわゆるバーメイルというやつなんでしょうか。そういうことすら知らずに入手したものです。

 この夏、銀座にある「悪魔の館1号館(通称)」に行きましたら(誰かがエレベーターの中扉を閉めずに5階で降りたらしく、へぇこら階段を上る羽目に)、これと同じものが棚にあったので、藤井さんに尋ねてみました。「あぁそれ、プラチナの古いのです。」

 はい、そうですとも。その通りです。で、これ以上のことを知ってるから良かったら教えてあげるよ、という方、よろしくお願いします。
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2008年9月24日 (水)

真っ逆さま

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 気持ちよさそうです。真っ逆さまにひっくり返って寝ております。

 ひっくり返って寝ている全身写真!もたくさんあるのですが、やはり「くま(仮名)」は女の子ですので、今しばらく、公開は控えたい。そういう飼い主の思いやりから、今回は顔だけです。

 これまで何頭か飼ってきた犬たちは、すべて屋外につないでいたので、こんな風におなかを見せて寝るなどということはありませんでした。
 知り合いの家でたくさん生まれた中から一つもらってきたとか、職場に迷い込んできた子犬を連れて帰ったとか、そういうのばかりでしたから、嵐や雷、無茶苦茶に寒い晩などをのぞいて、屋内に入れることはなかったのです。

 しかし、「くま(仮名)」さんは、血統書付きのお嬢様。「1か月は、散歩も控えめに。外には極力出さないように」などと言われて我が家にやってきましたので、最初から屋内犬です。
 それでも当初は、「そのうち外に出すぞ」と思っておりました。しかし彼女、柴犬とは思えない人なつっこさで、誰彼かまわず、人と見れば耳を寝かせ、しっぽを振って寄っていきます。昼間、留守にしていることが多い我が家の場合、こんな犬を外につないでおいたら、帰宅してみたら犬が居ぬ、なんてことも十分予想されます。で、結局、お座敷犬になってしまったのでした。

 まぁ彼女にしてみたら、何の危険もないところで1日過ごしているわけですから、楽な姿勢で眠りたくなるのも当然です。犬というのは、飼い主が喜ぶことをワザとする、と聞きましたので、これは案外狙ってやっているのかも、とも思いましたが、違います。これは、素でやってます。警戒心ゼロです。
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 萬年筆の世界で逆さまといえば、PILOTのキャップレス。普通の萬年筆は、クリップがキャップについています。そして、その真下にペン先が隠れています。筆記時、キャップは外してお尻に挿す、あるいは傍らに置いたり、もう一方の手に握ったりするものです。

 キャップがお尻に挿さっている状態と、この写真を比べると、あぁ逆さまですね、ということになります。

 このペンを胸ポケットに入れているときは、クリップが上になっています。しかし筆記時は、一番下になっているペン先に続いてクリップがあり、それは親指と人指し指との間に挟まれています。変です。こういう変なものが、私は大好きです。
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 現行品(この色は生産中止になりました)のキャップレス絣と比べてみました。上のCW-300は、ダブルタイプのカートリッジを使います。すでに生産されていませんので、現在ではコンバアタアダブルというものを装着して使っています。赤いキャップレスの方には、現行のコンバーターCON-20をつけています。首軸に刺さる部分の形状が違うので、長さは同じですが互換性がありません。

 何より、決定的なのは、古~いノック式のキャップレスは、ノックの仕方にコツがある、というところです。現行品のキャップレスのように、ボールペンみたいにガシッとノックすると、いったん顔を出したペン先がすぐに引っ込んでしまうのです。

 気持ちを落ち着けて、優しさといたわりの心を持って、ぐにゅ~っと押し込んでいき、底付きする少し手前でフッと力を抜く、そうすると、小さなペン先がヒョコっと出てきてくれるのです。これは、ノックの衝撃でインクが飛び散ったりすることを防ぐため、わざとそのように作ってあるとのこと。先人は本当に、努力と苦労を重ねてこられたのですね。まさに、プロジェクトXの世界です。

2008年9月23日 (火)

万年筆の日!

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 当Blogからもリンクさせていただいている ル・ボナーの1日 で、名犬チャーが、あまりにも可愛い寝顔を披露していました。
犬の寝姿と云ったらくまめくり、ですので、「くま(仮名)」のお食事風景を。

 毎朝、お散歩から帰ると水を飲むところまではごく普通です。しかし、「くま(仮名)」の場合、餌鉢にご飯を入れてもらっても、しばらくは見向きもしません。上がった息が収まったあたりで、おもむろに鼻で餌鉢を引き寄せ、写真のようにお召し上がりになります。何とも優雅な食事風景です。飼い主ながら、見ていてうらやましくて仕方ありません。

 さて、今日は万年筆の日、だそうです。ふらりとお邪魔した神戸元町のPen and message.で聞いて知りました。早速ネットで調べてみますと、けっこう出てきますし、ネット以外の媒体でも、そこそこ流されている情報のようです。

 1809年のこの日、イギリスのフレデリック・バーソロミュー・フォルシュという人が、金属製の軸内にインクを貯蔵できる筆記具を考案し、特許をとったことに由来するのだそうです。

 映画「クローズド・ノート」主演の沢尻エリカさんが万年筆大使に任命されたのが昨年の今日。Pen and message.が開店したのも同じ日です。店主の吉宗さんは、たしか、文の日にあわせた、とかおっしゃっていたように記憶していますし、お店で、「今日は万年筆の日らしいですよ。」と教えてくださったことからして、これは何ともすばらしい偶然と云うことなのでしょう。

 萬年筆の原型とも云うべきモノができて、そこそこ使われるようになり、そのような筆記具で保険の契約書にサインをもらおうとしたらボタ漏れで書類が駄目になって、新しい書類を取りに行っている間に他社に契約を取られ、その悔しさを原動力に、現在の萬年筆の原型となるモノを発明したのがエドソン・ウォーターマンである、というお話、あまりにも有名ですね。

 現状、ウォーターマンは1本も使っておりませんので、イギリスつながりで次のペンを・・・。
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 CONWAY STEWART No.14 です。同じ柄のメカニカルペンシルとセットで入手したもので、現在の復興した会社ではなく、解散する前の製品です。軸が肥えたり痩せたりしませんから、カゼインではなく普通の樹脂と思われますが、なかなか美しい軸です。赤系統のインクを入れられ、採点用として使われているのがちと残念なところ(赤系統のインクはどうもペンに良くないような気がしています)ですが、使われずに死蔵されるよりはよほど幸せでしょう。

 アウロラ・オプティマなどと似た、軽くて、少々カサカサとした、それでいてしっとりとした書き味です。軽いペンはあまり好みではないのですが、このペンはなぜか、ずっと握っていたい、書き続けていたいという気にさせてくれます。

 来年の今日も、すばらしい萬年筆を紹介できるといいなぁ、と思いつつ・・・。

2008年9月22日 (月)

柔らかい!

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  足もとへ いつ来たりしよ 蝸牛
  Little snail when did you come to my feet?

 雨上がりの朝、玄関を出てみると、門へと下る階段に見事な蝸牛が。これほど立派な蝸牛を見たのは久しぶりです。

 同じく一茶の句に、
  蝸牛 そろそろ登れ 富士の山
 
 というのもありますが、写真の蝸牛さんは柔らかい体をうまく使って、ゆっくりと、しかし確実に、富士山どころか、垂直に切り立った石段を登っています。蝸牛というほどですからノロいのかというとそうでもなく、ちょっと目を離している間にどこかへ姿を消しておりました。

 柔らかい、というのは、とってもイメージのいい言葉です。海外ではけなす言葉だという「頭が柔らかい」も、日本ではほめ言葉。日本発の国際的な競技である柔道は「柔よく剛を制(征)す」ですね。

 我が家の「くま(仮名)」さんも、けっこう体は柔らかい方です。というか、犬はたいがいそうですね。人間だと、整体師の先生に叱られてしまうような姿勢で、気持ちよさそうに眠っております。
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 萬年筆のペン先もまた、柔らかいものが喜ばれることが多いのですが、今、普通に手に入る萬年筆で、柔らかいペン先のものなどほとんどありません。どれもみな紙に置くとコツンといいそうなほど硬いのです。インクフローをよくしたりして、なめらかにかけるようにしてあると、書き味は柔らかく感じられますが、ペン先がしなるような柔らかさではありません。

 柔らかいペン先、というと判で押したようにペリカンM1000が出てくるので、あえて外して、PILOTの70周年記念万年筆です。
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 割れてます。ものの見事に、パッカーンと割れてます。パッと見ただけでは同じペンですが、ペン先の刻印が違います。
 上の写真のペンは、ボールペンなんかに慣れた人に書いてもらうとすぐにこうなります。実際、そういう人ではインクが出ず、かけないこともあります。これこそ、真に柔らかいペンです。何となく、筆で書いているような気分にさせてくれます。
 同じ人に、下の写真のペンで書いてもらうと、写真ほどには割れません。現行のカスタムカエデについているものとも見比べてみましたが、明らかに違う、けっこう珍しいペン先です。PILOT70周年は、柔らかすぎて評判が悪く、一部の在庫は普通のカスタムと同じようなペン先に交換されて売られた、などとも云われていますが、その真偽のほどや、いったい何が普通のペン先なのか、よくわかりません。

 むしゃくしゃしているときなど、このペンで優雅に文字を書くと、すぅ~っと気分が落ち着いてくる、それだけは確かです。

2008年9月21日 (日)

意味不明

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 赤ちゃんやペットなどに話しかけている人を傍目に見ると、わかっていても滑稽なものです。写真は我が家の「くま(仮名)」が、激しい雨でお散歩に連れて行ってもらえずにすねているところ。こういうときに、放っておけばよいものを、「あらぁ~、くまってるのかぁ」などと、意味不明なことを話しかけてしまったりします。いかにも「くま(仮名)」らしい様子である、とか、なるほど「くま(仮名)」ならやりそうだ、という動作をしているとか、その、「くま(仮名)」のような、というところからしてすでに意味不明ですが、話しかけている方も、話しかけられている方も、どうやら同じイメージを共有しているようなので、まぁよしとすべきでしょう。

 今日は、「くま(仮名)」をのぞいた一家総出で、高野山へお墓参りに行ってきました。ほとんどの方にとっては観光名所である高野山奥の院の一画に、我が家のお墓はあります。お中日の23日はけっこうな人出になるので避けたい。何とも都合の良いことに、今日21日は弘法大師のご縁日です。家族5人となるとクルマで行くのが安上がりですが、ぽてっと寝ながらいけるということで電車を利用しました。

 しかし、さすがにお彼岸の日曜日。電車もなかなか混雑しておりました。ようやくたどり着いた高野山は、下界と変わらんのじゃないかと思われるほどの蒸し暑さですが、時折吹き抜ける風の涼しさは秋の高山であることを思い出させてくれます。で、その高野山で、変なものを見つけてしまいました。
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 なんというか、ほとんどVOWみたいになってますけれど・・・。要は、困っていることがあったら相談してね、といった呼びかけのポスターだったのですが、コピーのあまりの強烈さに詳しいことは忘れてしまいました。「クマってる」って・・・・。ベタです。ほかに考えつかなかったんでしょうか。かなり前から「くま(仮名)」に向かって「くまってるねぇ」とか、「くまいなぁ」とか、意味不明なことを話しかけていた私は、著作権を主張できるでしょうか・・・。

 ま、普通、Blogで「高野山に行ってきましたよ」と書くなら、お寺の写真なんかを載せるべきところでしょうね・・・。それを押しのけて掲載されるほど、個人的にはインパクトのあったポスターです。でもこれ、ポスターがあるということは、これの街頭キャンペーンなんかもやるんでしょうか。和歌山駅前なんかの賑やかなところで、「クマってること、ありませんかぁ!?」なんて、きれいなお姉さんが呼びかけながらティッシュなんかを配っているという・・・ないですね、やっぱり。

 さて、おバカなことばっかり書いてないで、今日の萬年筆ネタを。

 気になる萬年筆についてネットで調べてみると、うじゃうじゃ情報が出てくるペンと、メーカーやお店のページくらいしか情報がないペンとがあります。写真のペリカン・ハンティングも、けっこう情報が少ないペンです。気になったペンの情報が少ないのは寂しいものですから、少し追加しておこうと思います。
 ハンティングは、1994年にM800ベースで3000本生産されたもので、キャップもボディもグリーン。胴軸はトレドと同じ技法で作られており、2匹の猟犬とそれに追い詰められた鹿を中心に、鴨、雉、鶉に大雷鳥といった鳥たちと狐が、柏の葉の縁取りの中に描かれ(彫られ)ています。

 ずっしりと重いのですが、筆記バランスは抜群だと思います。pf刻印のFニブ付きで、調整してもらって細字でもにゅるにゅるの書き味になったのですが、字の下手な私はそれだと余計にひどい字になってしまいます。仕方なく、少々の引っかかりが残るように調整し直してもらい、現在はとても快適に使わせてもらっています。
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2008年9月20日 (土)

もらって嬉しいもの

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 手紙をもらうこと、特にそれが私信であることは、すでに非日常的なことになりつつあるので、嬉しさひとしおです。はやる気持ちを抑えて、ゆっくり、ゆったりと封を切ります。最近は、万年筆趣味を通じてお知り合いになった方からお手紙をいただくことも多くなりました。それらは例外なく、便箋や封筒にも心を配ったもので、手に取っただけで嬉しくなります。

 レッドブックに載っているのでは?といわれる、私と同じシェーファー愛好家の どーむ さんからいただいたお手紙は、封筒と便箋ともに曼珠沙華の柄の入ったもの。音もなく近づいて来ている秋を、改めて意識させられました。また、WAGNERでお近づきになったNさんからいただいたものは、昔ながらの住所、氏名などが枠の中に入ったゴム印が押されていて、これも見ただけでご本人を思い出させるもの。郵便扱い作業中に割れてしまうリスクが高いことにあえて挑戦し、封蠟で綴じられた、前途洋々たるTSさんの手紙。いずれも、大事に封を切り、じっくりと読ませていただきました。

 同じ万年筆愛好家でも、あぁこの人の前では字が書けないなぁ、と思うような達筆の方から、この人となら勝負になるかも、と親しみが持てる方まで、書かれた文字はさまざまですが、それがまた、文字通りその人のキャラクターなのがすばらしい。
 私自身は、さまざまな万年筆を収集し、使っていますが、超がつくほど達筆な上司には「万年筆が可哀想や。俺が買うたろか」と笑われる日々です。特に、一番マシな字が書けると思っているビッグトレド、上司も気に入っているようで、可哀想可哀想と目にするたびに言われ続けております。
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 写真は、シェーファーPFM-V(ファイブ)。eBayで、ヨルダン在住のセラーから買いました。あまりに安かったので、まさか国名通りJordanではないだろうなぁ・・・などと待つこと1週間、無事届いたペンは、キャップもへこみのないきれいなもので、外観はバッチリ。シュノーケルの吸入機構も元気そのものなのですが、書いてみると、少し前の軽自動車で、エアコンをかけて急坂を上っている感じ。どうにもインクの出が悪いのです。 さて困った、ということで、俗に、「忘れ物を届けに」行ったと云われている大宮でのWAGNERで、師匠に見ていただいたところ、すばらしい書き味に。ペン先の寄りがきつかったのと、部品がひとつ逆さまに取り付けられていたのを直していただきました。

 しかし、これは稀代の「あほなペン」ではないかと思います。こんなに太い軸なのに、インクが入りません。吸入機構が場所を取りすぎているせいでしょう。しかもその吸入機構が金属だらけで、どんどん腐食していく・・・。私の大好きなヤクザ映画にも通じる、「滅びの美学」がこのペンにはあるのです。
 シェーファーの象徴ともいえるインレイのペン先、現行のVLRやレガシーなどでもいいのですが、このシュノーケルといい、タッチダウンといい、吸入機構に凝っているシェーファーが特に好きです。それはやっぱり、私がひねくれ者だから・・・?

 で、大好きなシェーファーで書いた文字・・・・・う~ん、やっぱり、ペンが可哀想かも・・・・・
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2008年9月19日 (金)

警報発令

Rimg0301_2  むしろ、ケイホーと書いた方が雰囲気が出るかもしれません。私の暮らす県では、何らかの気象警報が発令されると、公立の学校は休業となるところがほとんどです。台風接近のニュースがあるときや、普段とは違う大雨の時など、学校中が「ケイホー」「けいほー」です。

 職員室では、テレビや、リアルタイムの台風情報を表示するWebページがつけっぱなしです。ひとたび警報発令となれば、まずは対応策の協議。教職員を職員室に招集する放送が流れると、子どもたちは歓喜の叫びを上げるのです。

 朝、登校前に警報が発令されている場合はともかく、子どもたちが学校にいる時間に警報が出ますと、いろいろと考えなければならないことがあります。ただ帰宅させるだけでは、むしろ危険な場合もありますから。実際、数年前に、警報発令で帰宅させた子どもが、増水した川は獲物がいっぱい、と川辺で遊んでいた、ということがありました。背筋が寒くなりますが、本人たちは涼しい顔で、「水増えたらザリガニめっちゃ捕れるねん」と。参りました。

 対応策が伝達されると、学級担任は教室へ向かい、その他の者は校区内の巡視に出かけます。用水路が増水しているなど、危険な場所がないかをチェックして、下校してくる子どもたちを見守ります。

 この時点で、何人か、有給休暇を取って学校を出る職員もいます。自分の子どもを迎えに行くのですね。

 警報を出すと、気象台にはけっこう苦情が寄せられるそうです。子どもを保育所に預けて仕事をしている人などは、警報が発令されるとお仕事を休まなければならず、しかもそれが給与に響いてしまう、という人も少なくないのです。ケイホー出たっ!と喜んでいる子どもの親御さんがそういう境遇、ということもあります。

 かといって、警報発令が遅れると、場合によっては死ぬ人も出てくるわけですから、気象台の人たちのプレッシャーも相当なものであろうと想像しています。

 で、世間一般の皆さんが興味を持つのは、警報が出て子どもたちを帰らせたあと、先生は何してるんだろう、ということでしょう。結論から言うと、そのまま仕事を続けています。外回りの営業が仕事の中心、というビジネスマンが、今日は客先に行かない、来訪もない、という状況に似ているのではないでしょうか。お客さん(子どもたち)への対応がないので、めいめい自分のペースで仕事を片付けています。一段落ついたら情報交換。こんな風に教えたらうまくいった、あれはまずかった、などなど。若い先生は、このチャンスを逃してはいけません。宝物のような情報がどんどん出てくるのですから。

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 ここまで書いてきて、あぁ、と気づいたのですが、結局、どの業界でも同じなんですね。早くから仕事をしている者が、後からきた者に伝承していくということ。その伝え方や、受け止め方に、その業界ならではの文化があるのでしょう。

 写真は、PILOTの万年筆。奥から、菊の模様、そして冬木立です。一番手前が松竹梅で、これだけが現行品(シルバーン)写真の撮り方で遠近感が出てしまっていますが、松竹梅だけが、奥の2本よりやや長いですね。クラシカルで、ころんとして手になじむ、いいペンです。工場では、この軸に模様を彫る技術などが、熟練の職人から若手へと受け継がれているのでしょう。

2008年9月18日 (木)

神出鬼没

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 私のことを、あちこちで、タイトルのように紹介していただいておりますが、まことにお恥ずかしい限りです。一部では、つきみそうは何体か製造されており、全国に配備されているのだ、という話もあるようですが、そうした事実は確認されておりません。思い立ったら我慢できず、欲望の赴くままに後先考えず、家族の冷たい視線もものかは、ささっと出かけてしまう私は、家庭人としては失格もいいところでしょう。家族の皆さん、いつもすみません。

 近いところでラストサンデー、私は早朝より名古屋へ。万年筆研究会WAGNERの中部地区大会にお邪魔して、宴会にまで参加して参りました。

 お土産の手提げ袋の中には、ういろうの小箱。一方、ル・ボナー謹製の鞄の中には、もっと大きな箱が入っておりました。

 この日、私は、ペンクリで3本もの万年筆を調整していただいた上に、壊れたペンの修理までお願いしてしまいました。これはもう、師匠に足を向けては寝られない、そう思っているところへ、会場を撤収する間際の師匠の一言。

 「誰か、いりませんかぁ?ペリカン!」

 結構かさばりそうな箱を掲げる師匠。反対側の肩には、ずっしりと重そうな、練習帰りの野球部員が持っているようなスポーツバッグ。遠路を帰られる師匠のため、少しでもお荷物を減らして差し上げるのが弟子のつとめというものでしょう。

 このあたりが、普通の人の感覚とズレているところ。箱の中身は、定番中の定番ともいえるペンの特別生産品。同じ系列の万年筆は、すでに何本か持っています。しかも、箱の中身の性質上、実用主義の私でも、これは使わずにおくつもり。使うつもりのないものを、何で手に入れてしまうのでしょうか・・・。
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 かくして、師匠がいち早く入手され、ご自身のBlogでも紹介されていた、ペリカンM800デモンストレータ背面仕様が、我が家へとやってきたのです。子供たちに見せて、万年筆の内部はこうなっているんだよ・・・とレクチャーするも、「見とうないっ! 知りとうないっ! ええぃ、ペンを近づけるでない、感染するではないかっ!」とけんもほろろ。ただ一人、小学校低学年の息子だけが目を輝かせて見入ってくれたのが、せめてもの救いでありました。

 で、このペン、当然ながらインクを入れておらず、書いてみてもいないのですが、手に持ってみるとやはりM800です(あたりまえ)。手元には、大昔のペリスケ(あの5000円で買えたやつです)がありますが、透明というだけでも軽く見えるのに、実際に軽いとなると、重めのペンが好きな私には合いません。その点、M800系列はもともとある程度の重さがありますので大丈夫。
 M800デモンストレータ、現時点では各ショップへの入荷状況が芳しくないようですので、一通り出回るまでは皆様への見せびらかし用に。師匠による調整済みのペン先は、適当な別のペンにねじ込んで、書き味を堪能させていただこう、そう思ってペンケースの中身に見入っている私の傍らで、「くま(仮名)」は、「アホくさ」と、いびきをかいております。

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2008年9月17日 (水)

合わせ鏡

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 不吉なものといわれていますが、私の実家では、洗面台を反対側に新設した際、元の鏡を残したままで、それ以来20数年以上、毎日、合わせ鏡の中で洗面しておりました。それでもこの歳まで、のうのうと生きながらえてきています。
 小学生や中学生だった頃、ウチの家はそんな風だなどと話すと、やれ鏡の世界に引き込まれるだの、悪魔が出てくるだのと、大いに盛り上がった記憶があります。

 昨日の記事に登場したペンショップでは、私も「悪魔」のはしくれということになっています。魂を欲しがりはしませんし、普通の悪魔が手ぶらなのに対して何本もの万年筆を持って現れるあたりも違います。聞くところによると、そのお店には、同じタイプの「悪魔」が、ほかにも何体か出現するようです。

 12日の木曜深夜、日付が変わる瞬間を狙って、合わせ鏡をして待っていると、遠い彼方から悪魔がぴょんぴょんと鏡の中をやってきて、向かい合わせにおいた本物の鏡の間を飛び越える瞬間に、これを捕まえることができるのだとか・・・。悪魔や、虫歯のばい菌さんは、しっぽが矢印の形になっていますから、するりと抜けてしまうことなく、捕まえやすそうです。

 捕まった悪魔が離してくれと懇願すれば、待ってましたとばかり、願いを聞き入れてくれたら離してあげましょうと切り出します。さて、ここで、どんなお願いをすればいいのか。ばかばかしいことですが、けっこう真剣に考えてしまったりします。

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 聞き入れてもらえるお願いは、多くても三つまで。普通は、一つだけというのが相場のようです。せっかくの機会ですし、悪魔がう~んと唸りそうなお願いをしてみたいものです。幸せにしてくれ、大金持ちになりたい、すなみさんよりすごいコレクションを・・・なんていうのは、面白味に欠け、あとになって「やっぱりあのとき・・・」と後悔しそうです。

 で、思いついたのが、「自分がいなかったことにしてくれ」と言うお願い。いつ悪魔が捕れても慌てないよう、毎日練習しています。

 自分がこの世にいなかったことにしてもらえれば、今まで人に迷惑をかけたこととか、恥をかいたこととか、すべて消えてなくなります。実にすっきりとしています。私が消えてなくなれば、あらゆることが、うまくいくはずです。
 このお願いを思いついて、これはいい! と人に話したりすると、たいてい同じような反応が返ってきます。
  ・残された家族はどうなるの? 無責任な。
  ・あの、いっぱいある万年筆、インク固まるよ。
  ・悪魔捕まえるの、今頼んでる仕事片付けてからにしてや。

 う~ん、一見もっともなご意見ですが、元からいない人に家族はありません。万年筆を集めることはできないし、仕事を頼まれもしません。

 少し気になるのは、願いを聞いた悪魔が、唸るどころか、哀れむような顔をしていることですが・・・・・
 
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2008年9月16日 (火)

ペットショップとペンショップ

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 カタカナで書くと、けっこう似ています。どちらもお店であるという点も同じです。

 家族、それも小さな子供連れで訪れる人が多く、賑やか(喧噪)である前者に対し、個人や少人数の大人が訪ねるのが普通で、落ち着いた(静謐)雰囲気であることが求められる後者。

 まことに対照的なこの両者には、しかし、大いなる共通点があるのです。

 「店」すなわち、「見世棚」です。ペットショップでは、犬・猫をはじめとする小動物や小鳥、爬虫類や魚類などがかわいらしさを競い、ペンショップでは美しくディスプレイされた筆記具がオーナーを待っています。そして、それらを見ているお客さんは、本当に幸せそうです。ペットショップでは歓声が、ペンショップでは感嘆の声が聞かれます。

 危険が迫っていることに気づかず、至福のひとときを過ごしているお客さん達に、お店のスタッフは柔らかな笑みを浮かべながら、お客の心を手に入れるための呪文を唱えるのです。

 3年前の、まだ春浅い日曜日。ロードサイドのペットショップで歓声をあげる家族の中で、ただ一人、私だけが落ち着いていました。

 我が家に迎えるべき犬の条件。それは、とてつもなく厳しく、クリアすることは不可能と思えるほどのものでした。ですから、そこらへんのペットショップに飛び込んで、その条件をクリアする犬に出会える確率は限りなくゼロに近かったのです。ペットショップに足を踏み入れて、犬が欲しくなったらどうしよう、などという心配は、まったく無用でした。

 黒い柴犬で、日本犬らしく容姿端麗、それでいて釣り目でなく、鼻先が短い雌。そんな柴犬がいるとは思えませんでした。柴犬は容姿端麗ですが、多くはキリッと切れ上がった目をしています。そう、いわゆるキツネ目に近い容貌です。フレンチブルドッグやパグ犬ではないのですから、鼻先もある程度の長さがあって当然です。

 しかし、奇跡は起こるのです。神様もいれば、悪魔も存在するのです。

 私の目の前に、それは、確かにいました。黒く、目が丸く、鼻が短いその子には、「柴・女の子」というPOPが添えられていました。あまりのことに、言葉を失って立ちつくす私に、その呪文は放たれました。

「よ か っ た ら 、 お 出 し し ま し ょ う か ? 」

 意味不明な笑みを浮かべて立ちつくす私。たたみかけるように、さらなる呪文が投げかけられます。

「抱っこしたら、もう、終わりだと思いますけれど・・・」

 アホなことを。キミ、どう見ても20代やろ。キミに何がわかるっちゅうんや。んなもん、抱っこしました、あぁ可愛いなぁ、ありがとう、っちゅうて返すだけの話やないか・・・。
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 お店の外には、粉雪がちらついていました。小さな穴がいくつも開けられた箱を手に、「大丈夫かな、寒いないんやろか・・・」とつぶやきながら、足早にクルマに向かう私。名前は何がいい? 無邪気に盛り上がる家族。
 若い店員は、強力な術者であり、私には、彼の放った呪文を無効化するだけの力がなかったのです。

 あれから3年半。リビングルームの一隅で、ゆったりと過ごす彼女。食卓では、子供たちが鋭く私にツッコんできます。

 「また、呪文に負けたん?! これで何本目?」

 山が海に滑り込む直前、わずかに傾斜を緩めるところに、そのお店はあります。とても好印象でありながら、とてつもなく強力な術者がいて、足を踏み入れた者の心を虜にしてしまうのです。幾星霜を経た什器に並べられた品々は、それ自体が妖しい波動を放ち、哀れな者たちを引き寄せます。とどめに、店主が放つ最強の呪文。

 店主は言います。お客がその呪文を望んでいるのは見ればすぐにわかる。そして、お客を楽にしてあげることこそが、店主としてのつとめなのだ、と。

 かくして、心優しき店主は、悶々としてさまよえる魂を救わんがため、今日もその呪文を唱えるのです。

 「よかったら、お出ししましょうか・・・」

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