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2019年9月 4日 (水)

はたしはべりぬ・1

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 半分寝ている「ちち(仮名)」さん。暢気に寝ていると冷や水を浴びせられることがありますが、本日の飼い主はまさにそれ。青春18気っぷを使って飯田線乗り通しを目論んだのですが、名古屋まで近鉄ワープすることで、JR奈良駅を始発で出ても間に合わない列車に乗れるのです。これは東京方面へ向かう場合にも有効な手立てで、京都から米原の間を新幹線でワープする、というのと同様の効果が得られます。

 そうして乗り込んだ名古屋発8時15分の中津川行き快速。大曽根あたりで乗り込んできたご夫婦が実に景気よくお話しされていたのでイヤホンのノイズキャンセリングを最大に。安心してうとうとしていたら、高蔵寺あたりで背後から液体をかけられてしまいました。ドア脇に立っていて、飲みかけの缶コーヒーを当方の座席の背もたれに置いてあったようです。「まさかブレーキかかるなんて」と電車のせいにしておりましたけれど、その狼狽ぶりは見ていて気の毒になるほどのものでした。結局、そのご夫婦も中津川まで乗り通されたのでしたが、以後は一切おしゃべりなし。降車時に1000円札をたたんだものを差し出されたのですけれど、ご辞退しつつ逃げるように隣の車両へ。結果、これが幸いして、乗り継ぎ列車への乗車待ちで良いポジションをとることが出来ました。

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 中津川駅のホームから見える留置線には、長野総合車両所の211系。アレが来るのか、と諦観しつつ入線を待ちます。はたして、発車時刻少し前に「しなの」が入線している間に、留置線から姿を消しておりました。

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 同じように待っていた皆さんは、ロングシートが来たというのでブーイングでした。中津川から松本までの間は東海と東日本の両社の車両が走っておりますが、東海だと313系が来ることもあるので、できれば東日本の車両に当たりたくないなぁ、と思っていたのですが、まぁ仕方ありません。18きっぷで静岡県や長野県、山梨県を旅するときには決まってまとわりついてくる、それが211系とあきらめましょう。逆にどんどんその数を減らしつつある旧国鉄の車両ということで喜んだりする人もいるようです。

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 教は飯田線に乗るんだ、とはしゃぎつつ辰野で降りてしまう人たちを見ながら、岡谷に到着。さきほど辰野で降りた皆さんとは、のちほどまたご一緒することになります。この程度のことも調べずに18きっぷの旅に出て行く人たちは、車内での酒盛りや爆音おしゃべりなど、迷惑な人たちであることも多いので、そのための備えも大切です。

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 天竜峡までの長い長い道のり。車掌のほかに旅客専務を加えた3人乗務の2両編成。けれどドア扱いは運転士が行い、車内放送のみ車掌のお役目で、車内補充権の発売や無人駅での乗車券の回収は旅客専務が行っていました。あの車掌さん、せめてドア扱いぐらいすればいいのに、と思いましたけれど、通常は旅客専務が乗っていないので、車掌さんももう少し忙しいのでしょう。

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 天竜峡では豊橋行きが待ち構えていて、2分の接続。飯田線の魅力はここから先の区間なのですが、あえてこれを見送って駅の外へ出てみました。時刻はすでに午後3時を過ぎています。天竜峡川下りも、最終便の出発時刻が間近、というタイミングでしたので諦めました。ひたすら列車を乗り継いで目的地を目指すのも良し、ぶらぶらゆっくり乗り継ぐのも良し、というところが18きっぷの旅の良いところでしょう。

 ここまで運んでくれた車両が本線上で入れ替え作業をしているのをみながら、長閑な雰囲気の駅周辺を歩き回ってみます。次の列車が来るまで、たっぷり1時間以上あるのですから。

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コメント

 お疲れ様です。

 私の田舎を素通りして,天竜峡にお着きになったのですね。
私めの実家は,伊那八幡駅から徒歩6分の,線路からほど近いところにあります。
天竜峡方面に向かっている場合は線路左手。伊那八幡駅を出てすぐに2つの踏切を通過しますが,その2つめの通り(国道152号)沿いです。そして次の無人駅「毛賀」のそばの中学校は私が通った母校です。

monolith6 さん

夢うつつで電車に揺られていたのですが、毛賀、という駅名票を見て
我に帰り、駅名の読み方を確認して、ほぉ、などと。とにかく天竜峡
まで長いのと、期待していた(笑)ほどの車窓風景ではなかったことも
あって、寝ていた時間の方が長かったかもしれません。件の中学校、
職業柄、こういうところだと生徒数少なくて大変やろなぁ、なんてこと
も思っていたような気もします。

 お疲れ様です。件の中学校ですが,私が通っていた当時は約40人クラスで各学年が6クラスずつありましたので,全校約720人でした。

 卒業から43年を経て,現在の全校生徒数は668名なので,経過した年月の割には減少していないと言えます。

 創立当時から,私が住んでいたエリアの他,天竜川の川向こうと南部流域の3地区を統合した学区でしたが,一番遠いところから通う生徒は徒歩40~50分かけて来ていると思われますので,学区自体も広いのでしょう。

 monolith6 さん

 中途半端に町中であるような地域ですと、通学圏の拡大は嫌われます。
結果、校区割りを変更するなら担当者数人の首が飛ぶ覚悟で、ということ
になりますので、なかなか前に進みません。結果、小規模校があっちこっち
にできあがります。

 小規模な学校ならではの良さもありますけれど、まぁ600人ぐらいという
のはちょうど良いところかと思います。羨ましいところです。

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