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2012年7月15日 (日)

未来は明るい

 今年もこの時期がやって参りました。第3回 y. y. Day in エルおおさか 開催要項などを記載した専用Blogも開設中です。みんなで集まって、ワイワイ楽しみましょう。

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 葛城山頂で賢くおすわりをしているラブちゃん。後ろに見える皆さんと一緒に登山してきたのですね。飼い主さんにお願いして写真を撮らせてもらったのですが、やはりこの子もカメラが嫌いなのか、顔を背けていやがるところを何とかおさえた1枚です。

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 近鉄週末フリーパスに、この葛城山ロープウェイが半額で利用できる特典がついていた、というだけで乗りに行って参りました。高校生の行事に耐寒登山というのがあって、四ツ爪の簡単なアイゼンを登山靴につけて昇った葛城山。雪のない季節に昇るのは初めてです。

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 耐寒登山の時には見るべくもなかった三角点。何より、山頂ってこんな感じだったのか、と35年ぶりに思いました。毎日を惰性で活きる無気力なオッサンになり果ててしまった私ですが、高校生の頃には意欲や好奇心なんてものもあったのです。そういう昔を思って、山を下りて実家の近くまで行ってみることにしました。

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 JR関西本線と近鉄とが接続している柏原駅です。近鉄南大阪線の道明寺駅からここまで、途中には柏原南口という駅がひとつあるだけの、本当に盲腸のような支線ですが、2両編成の電車の座席がほとんど埋まるほどの利用客があるのには驚かされました。私の実家からはこの電車が走っているのがよく見えたのですが、惜しいことに駅がなく、いつも残念に思っておりました。いけないことですが、実家の近くの踏切でよく1円玉をぺちゃんこにする遊びをやっていたことを思い出します。良い子は真似してはいけません。

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 写真中央の赤い屋根が実家の最寄り駅である土師ノ里駅。線路は写真の道路の下をくぐるように伸びています。駅手前のベンチが置かれている広場には、時計宝石の仲庭総本店があったはずですが、周辺にあったいくつかの小さなお店ともども、綺麗さっぱりなくなっておりました。

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 上の写真の裏側にあたるところです。この角には道明寺フォートスというDPE中心の写真屋さんがあって、親父さんが「写真は機材じゃないよ」ということを親切に教えてくれたものでした。今でもほとんど変わっていませんが、私は本当に出来の悪い馬鹿な少年で、学校でも家でもいつも叱られてばかり。学期末に行われる個人懇談の15分間なんて、それこそ地獄以外の何ものでもありませんでした。そう、懇談の席ではそれほどではなくても、家に帰ってからが恐ろしいのです。

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 今、我が子の懇談なんかに行きますと、子供たちも私が子供だった頃と同じようなことを指摘されています。デキの悪かった私が受験するときは地元の道明寺天満宮にお祈りすることぐらいしか手がありませんでしたが、それを思うと我が子たちの方がずっと立派です。

 最近、こちらの記事を読ませてもらって、深く深くうなずきまくってしまいました。ドラエモンにお世話になっているのび太くんが優等生に思えるほどダメダメな少年だった私は、当然のことながら学校でも「どうでもいい」存在でした。クラスでドッヂボールをやるときなど、誰もが私をチームに入れたくない、そう思っていたはずですが、いつも「来いよ」といってくれる子がいました。実にありがたい話です。

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 最近、そういう優しさというか、世の中全体の冗長度がなくなってきているように感じます。遣唐使として渡った人物がたまたまこのあたり出身だったらしいとなると、大々的に宣伝材料に使う、たとえばそういった情報活用能力が、哀しいことに人を責める方にもめいっぱい活かされているのではないでしょうか。

 今の世の中で私が子供時代を過ごしていたなら、かけらほどの度胸もない私であっても自殺しようとしていたことでしょう。そういう意味では、私は幸せだったのかもしれませんが、この歳まで生き延びてしまったことで、あちこちに迷惑をかけてしまっています。何がいいのか悪いのか、よくわかりませんね。

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 この看板の向こうに白い建物が見えますが、私がこのあたりで暮らしていた頃にはサントリーのワイン工場だった場所で、今は老人福祉施設になっています。この写真を撮っていて思い出したのですが、撮影場所から徒歩30秒のところに旧いマンションがあって、そこに住んでいたYくんとは仲のいい友達でした。

 クラスで、いや学年で1番の成績だったYくんの家は母子家庭で、その当時のことですから家計も苦しく、Yくんは公立高校一本に絞った受検でした。落ちているのを見て慰められたら嫌だから自分一人で合格発表を見に行こうとする私に、頼むから一緒に行ってくれと懇願していたYくんの姿が今でも忘れられません。どんなに優秀な人でも、強いと思える人でも、やはり不安を抱えているのだという当たり前のことを教えてくれたのがYくんでした。

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 電車がほぼ直角に進路を変える急カーブ。このあたりでよく遊んでいたものです。私には、ドッヂボールのチームに入れてくれる人やYくんみたいに頼ってくれる人などがいて、本当に良かったと思います。効率最優先で、とにかくいろんなコストを切り詰めることだけが是とされる世の中。正しくないと誰かが決めつけたものには容赦なく攻撃をしても良いと考える世の中。これではもう、私のような子供は生きていくことができません。

 私にしては珍しく真面目にものを考えてしまったのですが、「だからいいんじゃないか。そうなれば、お前みたいなヤツが世の中からいなくなるんだから。」 結局、そう言われておしまい、なのでしょう。そうやって生き残った人たちがさらに高みを目指して淘汰を繰り返し、いつの日か、優秀な人たちだけの社会が実現するのでしょうか。

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コメント

どおりで、、、
急に背中に冷たい悪寒が走ったと思った。
最近は土師ノ里駅の近くを良く車で通ります。
娘が柏原駅の近くに住んでいるのでね。
昔酔っ払って土師ノ里とか古市とかまで乗り過ごしました。
富田林まで行ってタクシーで帰ったり、
最悪は12月末のめちゃ寒い時に喜志まで乗り過ごして
帰りの電車が有ると向かいのホームまで行ってベンチで
寝過ごして、寒いと起きたら駅の電灯が消えていた事が
あります。
こらっ、ちゃんと終電行ったらホーム点検しろ > 駅員
凍死しそうだった。 
線路上を歩いて途中で立ちションしているタクシーの運ちゃんが見えたので走って行って無理やり家まで送ってもらいました。(最初からタクシーで帰れば良かったのにねえ)

普段は子供の事は放ったらかしのくせに、何か気に入らないと、自分の子供の時のことは棚に上げて、「もっと真面目に勉強しろ」と叱るワシ。

ホントは子供達が嬉しそうに学校に通っていることに感謝しないといけないんでしょうね。。。。

最近は、何が当たり前で何が当たり前でないのか分からない自分が情けないですね(苦笑)。

 マオぢぃ さん(でしょ?)

 冷たい悪寒、って、頭痛が痛いとかそういう類の奴でしょうか。

 うちの親父なんか、大阪線で寝過ごして榛原まで行ってしまい、おぉ、息子が勤めている奈良県だ、なんてことで迎えに来いと電話をしてよこしたこともありました。幸いなことに私はお酒を一滴も呑まないので寝ていて乗り過ごしたことはありません。

 foolsbook さん

 そう思えるのは良いお父さんですよね。私にとっては子ども達が自分に似ているという当然のことが残念でならない、という事実がとっても残念です。やっぱりまじめにしっかり精進して生きないと、どこかでつけが回ってきますね。

この世界の摂理(そんなものが定義されているわけではありませんが)ならば、優秀な人ばかり集めてもその8割は働きませんよぉ。っていうか出来の悪いのが8割いて、その世界が成り立つようにできているのだろうと思います。今の日本は出来る奴が勝ちヒステリーに陥っている韓国を後追いしているかに思えます。サムソンに勝とうとか、そういう面だけ見習ってもうまくいくはずない。市井の平凡なおっちゃん・おばちゃんのパワーがあってこその国家なのにねぇ。

私は何年かに1回はお酒を飲んでないのに

寝過ごしてしまいます。

といっても、新快速で三宮から神戸までとか

かわいいものですけど。

会社の先輩は加古川あたりまでよく寝過ごしていましたね。

そう私でおま。
あまりにもシゲキが強すぎたので、ちめたい悪寒と
書きました。
先ほど土師ノ里を通りましたけど、悪寒は無かったなあ。
商品券を貰ったので、近くのハーベスでお肉やお酒(ラム酒)を買いました。
ミントの葉も買ったし、モヒート作って飲も!
小学校のあだ名が悪寒じゃ無くてオカンでしたよ。

 くーべ さん

 そういえば、寒村に学べ、なんていうビジネス書をよく見かけるようになりましたね。私たちも負けずに、ものの始まりみな日本、をスローガンに頑張りましょうかね。職場から子に人いなくなったら困る、なんていわれてても、いなくなったらなったで必ず代わりが出てきて何とかなりますもんね。8割はサボってる理論、支持してます。

 ひろなお さん

 寝過ごすときには二通りありますね。完全に寝ていて気がついたら遠い駅、っていうのと、降りるべき駅に停車中目が覚めるパターン。後者の場合、開いてるドアを見つめながら跳び起きようかどうか迷うわけですけれど、迷ってる間にドアが閉まることが多いですね。迷うってのはカッコ悪いと思うからで、そんなこと言ってられないときはホンマに跳び起きてダッシュしますけど、そういう時に限って早くドアが閉まります。

 マオぢぃ さん

 わ、おっしゃれなモン呑むんですな。近商なのにハーベスと名付けると高級感出ますし実際高級。最近では成城石井なんてのも精力的に展開してますしね、近鉄は。その昔、近鉄百貨店だけは高級な洋服のディスプレイの前にオバちゃんが腰おろして休憩してる、なんて言われたもんですが。

酒を飲まない人がカクテル(最近になって知られるようになった)を知っているなんて、、、おかしい
今日は柏原まで2往復なので土師ノ里通過は4回です。
そう、昔の阿倍野近鉄百貨店は大阪唯一のストリッパーじゃ無くてスリッパ、雪隠じゃ無くて雪駄、ヘタじゃ無くて下駄で行ける百貨店でした。
帰ってきた娘に近鉄南大阪線と大阪線の線路の幅が違うことは知りませんでした。
高い高い百貨店を作るより、線路の違いをどうにか解決してほしい > 近鉄電車
昔々、河内天美駅横の阪南大学付属高校は大阪鉄道高校と呼ばれていたのね。
最近の大学や高校の改名は考えなおして欲しい。せめてカッコつきで昔の名前も書いてね。
高校野球の結果見ててもワケワカメだし、私の卒業高校と聖徳太子の高校と間違えられるし、、(名前違うのは昔からか、バレーボールで有名違うぞ!)

線路の幅変えるっていっても、南大阪線一体に台風がやってきて大洪水で復旧不可くらいにならんと無理やないですか?
近鉄には前例(伊勢湾台風後の復旧)がありますさかい、そのくらいの災害がきたらなるかもしれませんが、マオぢぃさんのご自宅も復旧必要になりまっせ(^_^;)

 マオぢぃ さん
 くーべ さん

 世界の盗塁王福本さんを生んだ大鉄高校、今は高見の里の大阪薬科大学の近くに移転してます。甘味にあるのは大学だけです。

 佐伯勇が社長だった時に伊勢湾台風で名古屋線の線路が全滅して、どうせ復旧するんなら大阪線と軌間合わせてまえ、とやったのは有名なお話。南大阪線と吉野線、長野線はもともと近鉄の前身である大軌とは別会社だったから仕方ありません。この鉄道が儲からん時代に改軌なんて設備投資は無理でしょうね。

 あとはスペインで実用化されててJRがけっこう本気で開発中のフリーゲージトレインですけど、これも車両代が高くなるから特急車だけ、とかになりそうですね。

そんな事無いわい!
全部線路幅一緒になったら南大阪線沿線は乗り換えなしに
名古屋にいけるし、藤井寺から直に難波とか神戸に行けるかも知れへん、やんけ。
  只今ラム飲み過ぎの酔っぱらいモードじゃ
寝よ。

 マオぢぃ さん

 藤井寺から名古屋まで乗り通す人がドンだけいてまんねん、と酔っ払いにもいちおう絡んでおきます。

優秀な人…という言い回しは好きではありません。以前武道を指導していた時に、同じ教え方をしていても一人一人得意技というものが違っていて「人間は個性の生き物だ」という事を実感しました。個人個人で長所と短所を併せ持っているというのが真実なのではないでしょうか?それでも尚優秀な人、不出来な人という言葉が巷に蔓延っているとしたら、それは個性を活かし切れていない社会のせいだと思います。勿論本人が努力をするのは大前提ですが。

時代が流れ、駅周辺の様子はきっと面影を残さないほどの変貌を遂げたことだと思います。ただ、軽快に走っていた吉野特急が、土師の里駅手前でガクンと制動をかけられ、まるで駅に敬意を表するように徐行を余儀なくされる大きな右カーヴは今も健在でしょうね。
また、柏原というと思い出されるのが家族でよく見に行った花火大会です。南大阪の夏の風物詩というと、もうすぐ開催されるPL花火芸術が有名ですが、近鉄道明寺線が走っている石川の堤防から見た柏原の花火大会は、とても間近で鑑賞でき、迫力満点でしたが、安全対策が難しいとして、数年前に廃止になったそうですね。背景には明石の歩道橋事故などがあったと思いますが、これも時代の流れで仕方ないのでしょうか。

 すいどう さん

 私自身は社会に関係なく不出来なヤツですけれど、ほとんどの人はいいところも悪いところもどちらもたくさん持っているはずですから、それを活かせない社会というのは哀しいですね。パッと見てわかりやすいところで人の優劣を決めた方が何かと便利なのでしょう。何倍もの競争をくぐり抜けて採用された最近の若い先生たちはとっても「優秀」で、それを見ていると、私が新人だった頃のことなんて恥ずかしくて言えないほどですけれど、そんな「優秀」な人たちもまた、どこかで壁にぶつかり、それを乗り越えて深みを増していくのでしょうね。

 乗り鉄2号 さん

 吉野特急が尺土に止まるようになったのもショックでしたが、のみならず橿原神宮前から先は飛び石みたいに停車するようになって、ついには深夜だけとはいえ古市にも止まるようになりました。尼崎の事故の時にはこのカーブも危ないなんて言われましたが、近鉄のATSは速度照査式ですからね。

 小さい頃は実家の屋根に登ればPLの花火がよく見えました。それがダメになってからは、石川の花火。こいつはもう、自分ところ専用の花火みたいなもんでしたが、そうですか、なくなりましたか。とっても残念です。

20年以上前かな?
石川の臥龍橋の横で行われた花火大会に家族全員で
見に行ったことがあります。
ゲストは「かん」(あれっ?カタカナか?)
主催は羽曳野市かその関係団体だったかなあ?
本当綺麗かったです。上から灰が落ってきそうでした。
PLの花火か?家からは見えませんが(音だけ)
近くの野中寺の陸橋からは見えるけどねえ。
そう言えば、肩車していた娘がおしっこチビって、
あわてて家に帰りました。

 マオぢぃ さん

 まず、「がりょうばし」が誰にも読めません。今はもう、新しい橋にかけ変わっていますね。あの橋の下は河川敷がすごく広いのでイベントに最適でしょう。

 ハウステンボスで花火を見たときは、ガンガン花火の滓が降り注いできました。見てる目の前で打ち上げてるんですから当然ですね。そのことを思うと、毎年行ってる鳥羽の花火は近い割には煙しかないなぁ、という感じです。

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